「ミュンヘンに遊びに行くで」
「待ってますから絶対に来てくださいね!!」
このやり取りは、マネージャーの美保ちゃんが4月からミュンヘンの幼稚園で先生として働くこととなり、3月末に開催された送別会での会話である。
この会話から半年、ほんまに実現するんかいなと疑いの声も上がる中、強い意志により実現にこぎつけ、ミュンヘンに美保ちゃんを訪問することになっちゃったのである。
9月18日早朝、眠い目をこすりながらもいつもの顔が関空に揃った。
メンバーは、
「言うだけ番長」鶴原
「元黒い弾丸」沖中
「遊びは俺に任せろ」川端
「飲むと機能停止」田中
の4名である。
今回の旅行は9月18日に関空を出発、9月23日に帰国するという4泊6日の日程ながら、
移動に行きも帰りも丸1日かかるという強行軍である。
関空を9時20分に出発した一行は、中国国際航空にて経由地である北京へ向けて飛び立った。
このフライトはさしたるトピックもなく順調な飛行となったが、初めてのトラブルが早くも北京にて発生する。
北京ではトランジットだけなので大した手続きもないだろうと思っていたのだが、検疫や審査などで合計5回も関門がありその度に足止めもくらう。
中でも鶴原がパスポートのチェックで係官に疑われ、電話で別の人を呼ばれるは、セグウェイに乗った別の係官にパスポートを持っていかれるはで大往生をしてしまう。
結局は何もなく通過したのだが、この後も入国審査や出国審査の度になぜか鶴原だけ疑われてしまうのである。やはりどう見ても日本人には見えないその容貌が原因だろうか。
さて、北京でのちょっとしたトラブルを回避した一行は、ここからは一路フランクフルトへおよそ10時間の長旅である。
初めはおとなしく席に座っていたのだが、エコノミーの狭い席でじっとしていられるはずもなく、ほどなくして機内をブラブラしだした。
すると、キャビンアテンダントが食事や飲み物を用意するスペースで自由に飲み物を飲むことが出来、さらにそこでだべることが出来ることが判明。こんなに緩い感じは中国の航空会社ならではなのだろうか。
食事時間以外は基本的にそこでだべっていたのだが、すぐ横で立ち話をしているきれいな中国人のキャビンアテンダントを見た鶴原がついに動いた。
一人のキャビンアテンダントの後ろから肩をたたいてその人に対してカメラを向け、カメラとキャビンアテンダントを何やら交互に指さしているのである。
本人は一緒に写真を撮ろうということだったのだが、その光景はどう見ても変態カメラ小僧そのものである。そりゃ断られるわな。。。あっさりかわされすごすごと引き返して来たのであるが、あまりのカッコ悪さにこの時ほど知り合いだと思われたくないと思ったことはない。鶴さん、せめて声はかけようね。
そうこうしているうちに夕方無事フランクフルトに到着。
北京での審査が厳しかったこともあり、ここでも厳しい審査を覚悟していたのであるが、「トクガワ、コバヤカワ、セキガハラ」など意味不明なことを言われただけですんなり通過。
普通目的ぐらい聞くだろうにと思ったが無事通過したのでよしとしよう。
フランクフルトからはドイツの新幹線であるICEに乗車するのだが、少し時間が空いたのでドイツで初めての食事をすることに。
メニューはもちろんフランクフルトにビールである。フランクフルトでフランクフルトを食ったとかしょうもないことを言いながらも、さすが本場だけにうまいフランクフルトとビールに舌鼓を打ったのであった。
(冷静に写真を見ると別にたいしたこと無いメニューではあるな・・・これが旅先効果か!!byヤスダ)
3時間ほどのICEの旅を経て、23時過ぎについにミュンヘン中央駅に到着。電車を降りて駅に向けて歩いて行くと、懐かしい顔が目に飛び込んできた。
「久しぶりー!!!」
そこには半年前と変わらない笑顔の美保ちゃんの姿があった。ついに半年ぶりの再会を果たしたのである。
長旅の末の異国の地での再会は何か不思議と照れくさく、それでいてとても感慨深いものであった。 ミュンヘンでの宿泊は、日本人の親子が住んでいるアパルトマンの一室である。
広くはないがきれいな部屋で、とても快適に過ごさせていただいた。
この時期のミュンヘンは一年で最も混む時期であり、旅行会社からは1泊16,000円とか言われてたことを考えると、美保ちゃんが手配してくれたおかげで1泊 20ユーロというのは奇跡のような値段で泊まることができた。
美保ちゃんありがとう!
移動に費やした長い一日はこうして幕を下ろした。明日からのハードな毎日に備えて今日はもう寝ることにしよう。
ビール量:2L 状態:普通のおっちゃんテンションレベル:1
byさとるっち