第632号 本日から3連投行きますの巻

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セミの素揚げ「おいしい」静岡・磐田で昆虫食イベント系クラブチームの左大文字ラクロスクラブは8月18日、洛西浄化センターで行われたワイルドボアーズ戦、9-6で勝利を飾った。

当日の京都は相変わらずの猛暑。
エースじゅんぺいこと工藤選手は前日深夜1時半まで「明日の試合に向けてのイメトレ」と称して般若湯を飲み交わした。
そのかいあってかヘルメットとグローブを忘れるという大失態。
周囲には「グローブ忘れてアームは忘れへんかったんや」と言われる事態となった。
これに対し左上層部は「カバンに入れる前に防具一個ずつ写メとって送らせようか、あれやで写メとってちゃんとカバンに入れなあかんねんで?それとも遠足みたいに要るものリスト作ろうか……」と頭を悩ませている。

さてそんな工藤選手であるが1Qで1点を先制、1-0のまま2Qに突入し近谷、田畑選手と今季新入部員が1点ずつ獲得、のち1点を奪われたが今季絶不調の赤木選手も今季初得点となる1点を奪い返し4-1で前半を終えた。
3Qにはいって暑さのためか長峰選手が足をつりベンチに、田中選手も肉離れのため戦線離脱となった。
近谷選手が1点を取り5-1、その後2点を奪われ5-3と追い上げられたが、工藤選手が1点を奪い返し6-3となった。
4Qに入って1点を奪われたが左優位の展開は続き近谷、岩田選手が2点獲得、その後1点を奪われ8-5、赤木選手が1点を獲得し9-5、最後に1点を奪われたが9-6で試合終了となった。
今回も応援に駆け付けた元キャプテン沖中氏も「そらもう、最高やがな!」と大喜びだった。
なお借り物のヘルメットとグローブで試合に挑んだ工藤選手は「パスミスしたとき、意識とびそうでした……」と試合を振り返っていた。
今季3戦3勝となったことによりファンリーグ準決勝進出を確実なものとし、選手たちはファミレスミーティングを行うべく近所のサイゼリヤへとなだれ込んだ。

出場者 坂井、伴仲、森田、赤木、工藤、近谷、長峰、松本、岩田、中屋、田畑、中村、三木、小林、田中(聡)、大槻、志水、板倉

得点者 近谷3 赤木2 工藤2 田畑1 岩田1

結果 左大文字 9 - 6 WILD BOARS  〇勝ち

まさかの復活<今週の読書室>まさかの復活<今週の読書室>

弘兼憲史『課長 島耕作』

初代編集長仲屋氏が担当していた時から数年ぶりの復活となるこのコーナー、サラリーマンのバイブル(?)と呼ばれるこの国民的漫画を選ぶことにした。
松下をモデルにした初芝電産で働く課長、島耕作氏を中心とした人間模様を描くこの作品、とにかく島がモテまくる。そしてすぐ関係を結ぶ。
そして周りの人間はかなりの確率で愛人がいる。
元会長の愛人であった大町親子とのエピソードなど、かなりご都合主義ともとれる展開も多い。
だが島が取引先から裸踊りを要求され嫌がるが、上司中沢が島をかばい「私裸踊り得意ですわ」と自ら裸踊りをし、島が衝撃を受けるストーリーなどサラリーマンなら思うところがある名シーンも多い。
ここで私が印象に残った2つのエピソードを紹介したい。

1、島と昔付き合っていた江里子という女性がいた。
島自身は遊びのつもりだったためすぐ別れることになったのだが、彼女は白血病に倒れ余命1か月と知らされる。
彼女と病室で再会した島は彼女の衰弱しきった姿に狼狽する。
「あなたは私のこと忘れていただろう。だが私は結婚してもあなたのことを忘れることがなかった」と言い体を触ってほしいと頼む。
島は終始気まずい表情のまま体を触り、彼女は涙を流した。
彼女は一か月後亡くなった。

2、島の同期で大学の同級生でもある樫村という男がいた。
彼は結婚して家庭を持っていたがある時島を愛していると告白する。
彼は同性愛者だった。
その後同期の中で樫村が一番に出世し、フィリピンで島は樫村の下で働くことになる。
だが現地ゲリラの恨みを買い樫村と島は銃撃される。
死に間際樫村は「俺のこと愛してるか?」と聞く。
島は一瞬狼狽した表情を見せるが「愛してるぞ お前を愛してる」と言い島の腕の中で樫村は亡くなった。

この2つのエピソードが示すところは何か?
これらのエピソードではこの作品にありがちな島が相手とすぐ関係を持つという展開ではない。
自分は相手のことを愛していないが、相手は自分のことを愛しているという所であり、さらに島を愛する2人の命の灯は今まさに消えようとしているというところもポイントだ。

では2つのエピソードの違いは何か?
後者では島と樫村は仕事上会ったり飲んだりしていたので人間関係そのものは存在し、愛情はなくとも友情はありつづけた。
だから嘘でも相手のことを「愛してる」ということができた。
前者ではだが島と江里子の関係は別れた時点で途切れている。
別れて以来一度も会うことがなかった場合、相手は記憶の中にのみ存在し老いることがない。
別れた時のまま記憶に存在していた恋人が、突然病に敗北し苦しむ姿となって表れたのである。
かつて仏陀は「全ての人間は生病老死の苦しみから逃れることはできない」と言った。
島の狼狽した表情はただ単に昔の恋人と会った気まずさではない。
人間が本質的に避けられない苦しみに、自分よりもはるかに早く苦しめられる人を見たから狼狽しているのである。
これは他のエピソードとは違いありとあらゆる人にとって普遍的なテーマを示しているのである。
誰だって付き合った人や好きだった人の1人や2人はいるだろう。
私にもいた。だがもう会うことがないだろう。
昔好きだった人が老いて病に苦しむ姿を見たとき、又は逆に自分が老いと病に苦しんでいる時に昔好きだった人と再会したとき、私はいったい何を思うのだろうか?
記憶の中にいる相手は最後に会ったときのまま変わることがないというのに。

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