第648号 追いつきました^^; 来年は中の人も交代だなの巻

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【岡山、タマゴサンドがバカ売れ 1パック2切れ入りで350円】系クラブチームの左大文字ラクロスクラブは11月1日、人が集まらなかったため鳥飼下グラウンドでかぶとむしとの合同練習を行った。
翌々日の11月3日火曜日が祝日のため、月曜日に有休をとって遊びに行く人たちが続出、結局当チームからの出席者は3人。
いつもは大所帯のカブトムシも10人、必ず見かけるLOHASも『30万払ってレーシックした』というゴーリー松尾氏(結局チーム入ったらしい)が出席するのみとなった。
「LOHASの他のメンバーけえへんの?」と言われた松尾氏、「え、わかんないです」と返すのみだった。

8時を過ぎて橋の下に続々とクロスを持った人たちが集まり始めた。
9時からCYLと甲南大学の練習試合だったそうで、人数の多さにビビりながらも充実した練習を終えた。
去年までメンバーだった工藤氏もなぜか左のユニフォームを着たまま登場、左メンバーと社交辞令を存分に交えた世間話を繰り広げていた。

(写真撮り忘れたため過去のイメージです笑 いい感じに歳を重ねた時に左大文字に戻ってくるという意思表示だと思いますのでレンタルユニは現在もレンタル中。左チームメンバーが十数人増えた時は一旦返却してね?)

■今週の試写室
書くことがないので今週もこの1週間に見た映画の感想を書きたいと思う。
普通に生きてりゃ毎週毎週そんなに面白いイベントなんてそうそう発生しないが、とりあえず映画の感想は書ける。
映画とは本当に良い趣味だなあと思う今日この頃である。

◆『トゥルーマン・ショー』(2回目)
アメリカのコメディ映画俳優、ジム・キャリー主演の映画である。
主人公のトゥルーマン・バーバンクはアメリカのある島に住む平凡な保険セールスマン。
ところが彼の生活は24時間撮影され全世界のテレビで放映されているのだった。
友人、恋人、家族はすべては役者。自分の住む町は巨大なセットだった。
トゥルーマンのみがそれを知らされず、日々生活を送っていた。
ある日ボート事故で死んだはずの父親が目の前に現れたことで、トゥルーマンはこの生活に疑問を抱き始める。
実は父親は番組を降板させられた腹いせにエキストラに紛れ込んでこの世界に再びやってきたのだった。
学生時代の恋人ローレンが現れた。
彼女は「この世界は偽物」と告げ、そして何者かに連れ去られ戻ってこなかった。
同じところを同じ車が何回も走っており、職場の隣のビルに駆け込みエレベーターに飛び乗ろうとすればそこにエレベーターはなく舞台裏があった。
妻は何の脈略もなくココアの宣伝を始め、それはいったいどういうことだと問われると「仕事とはいえもうこんなこと嫌!」と叫んだ。
トゥルーマンはボート事故のせいで水恐怖症だった。
だがボートでの脱出を試み、とうとうセットの端にたどり着く。
そこには階段と出入り口があった。
プロデューサーに放送で何か言えよいわれ、いつもしている挨拶をし、お辞儀をしこの巨大なセットから出ていく、という内容。

『もしこの世界が作りものだったら?』という少年の妄想を忠実に再現したこの映画、ストーリーは終始軽快に進んでいくが、内容そのものは恐怖を感じさせるものである。
『未来世紀ブラジル』なんかも似たようなところがあるかもしれない。
おそらくこのストーリーの肝は、【知らないほうが幸せ】ということにあるかもしれない。
この巨大なセットの中で何も知らずに生きていった方が幸せだとプロデューサーは思っている。
だがトゥルーマンは最後の説得に耳を貸さずセットを脱出する。
この辺はエデンの園を追い出されたアダムとイブに通じるものがあるかもしれないと思う。
そして番組が突然終了し「さ、次は何を見よう」とすぐさま心変わりを見せる視聴者もシュールだ。
ブラウン管を通せば人の人生なんてただの一コンテンツになってしまう。
これは今現在のわれわれの生活だってそうだ。
日々様々なニュースがテレビを通じ報道され、瞬く間に消費され、忘れ去られていく。
「今日はどこどこで殺人事件があってだれだれが殺された」なんてニュースが毎日のように流れている。
我々はその一瞬だけ心を痛め、次の瞬間にはもう忘れている。
そんな我々の生活に強烈なアイロニーを投げかける作品である。
文句なしにおすすめ。あと同じジム・キャリー主演だと『イエスマン』もいいよね。

◆『カメラを止めるな!』
一昨年話題になったこの作品、遅ればせながらようやく見た。
最初に37分間ワンカットのホラードラマが流れる。
おおすげえなとおもいきやこドラマは終わり、この番組を作るまでの過程からが流れ始める。
監督の日暮はとある番組を作ってみないかと誘われる。
その番組は『生放送、ワンカットのホラードラマ』という内容。
キャストは曲者ぞろいでしかも放送日になってキャスト2人が交通事故になってこれないという。
生放送が始まってからもトラブルは続出、冒頭に流れたホラードラマの舞台裏はこんなドタバタ劇でした、という映画だった。

この映画を見ている途中『あれこれもしかしてラヂオの時間ちゃう』と思ったら、まさかのストーリーそのまんまだった。
舞台『ラヂオの時間』初上演は1993年、どうも聞く話によると1980年代は生放送のラジオドラマなんかいくらでもあったらしい。
去年NHKFMの『zanmai』というラジオ番組を聞いていたらそう言っていた。
それを再現ということであえて生放送でラジオドラマをやっていたりなんかしていた。
(完全に余談ではあるが、80年代になってもこうした放送形態の結果、放送局に番組の録音がまったく残っていなかったりしているらしい)
だから『ラヂオの時間』が生放送であることに対しては何の違和感もない。
だがこの『カメラを止めるな!』の劇中劇が生放送であることには何の必然性もなく(だって結局俺らが映画としてみてるわけやし)、コンテンツとしての生放送の意味が分からない。
でも生放送でなければこの映画がストーリーとして成り立たない。
『ラヂオの時間』ではドタバタ劇があったといえどクライマックスに向けて物語の軸が収束していくが、『カメラを止めるな!』では劇中劇を最初に持ってきたため物語の軸が収束していく展開も取れずただただバタバタしたまま話が終わっている。
(ただし同じ三谷幸喜作品で『ラヂオの時間』のバージョンアップ作品とされる『有頂天ホテル』もドタバタしたままで結局軸が収束しないままラストを迎えているので、『ラヂオの時間』だけが特別なのかもしれない)
ドタバタ劇をうまくまとめていくのは至難の業なんだなあと思った。
ただしこの映画、製作予算300万円だそうで、それはマジですごいと思うし、冒頭のワンカットドラマも本当にすごい。
あと『ラヂオの時間』、見てね。

◆『遠い夜明け』
アパルトヘイト下の南アフリカを舞台にした実話の作品。
イギリス系南アフリカ人の新聞記者ドナルド・ウッズは黒人活動家スティーブ・ビコを取材することから始まる。
ドナルドは最初スティーブのことを人種間憎悪をあおっているだけだと考えていたが、ビコと交友を深めていくうちにビコの人間性にひかれていく。
また治安を守るべき警察が黒人施設を襲撃しているような実態を知るにつれ、反アパルトヘイト的な記事を執筆するようになっていく。
最初緩やかな監視の下に置かれていたビコは、集会で演説したことをきっかけに逮捕された。
24時間の監視をうけることになったが、伝染病に感染した黒人が何の手当もうけられずに放置されていることを聞き、それを見に行くため監視をかいくぐって現場に向かう。
だが検問で見つかり逮捕、拷問を受け死亡した。
警察はハンガーストライキによるものだと発表、検視も終わっていないため遺体と対面できないとしたが、ドナルドは「家族は遺体に対面できる権利があると法律に書かれている」としてビコの妻と共にビコの遺体との対面を果たす。
そしてこの事実を海外で発表しようとしたドナルドは、出国時に警察に逮捕され、社会との接触を断たれ自宅で監視の下に置かれる。
そんな中ドナルドは南アフリカの中に存在する別国家、レソトには川を渡るだけで渡航できるという事実を知り、レソト経由で亡命するという内容。
最期には警察に拘留中に亡くなった黒人活動家の名前と公式発表の死因がエンドロールで流れる。
そのほとんどが『自殺』か『転落死』。
このエンドロールだけで涙できるほど、この映画は重い。

かつて南アフリカでアパルトヘイトという人種差別政策が行われていた。
実際問題日本から遠く離れた国のことであり、また日本人は『名誉白人』であったため、アパルトヘイトについて詳しく知る日本人は少ない(ただし白人と日本人間には背徳法が適応された)。
私はかつて南アフリカを旅行したことがあるので調べたことがあるのだが、それでもまあ記事は出てこない。
アパルトヘイト下の南アフリカは国連からさんざん非難決議を受け、各国から経済制裁をくらい、イギリス連邦を脱退させられ、国際オリンピック委員会IOCから除名されている。
ぶっちゃけて言えば、差別なんかどこの国にもある。
なぜ南アフリカだけがここまで苛烈になったのかを理解しなければならない。

17世紀南アフリカ南西部にオランダ人が上陸し、以後はケープ植民地としてオランダ(正確にはオランダ東インド会社)の植民地となった。
だが19世紀ナポレオンがオランダを占領し東インド会社は解散させられ、ケープ植民地はイギリス領となった。
イギリスは奴隷制を認めない。
黒人奴隷を雇うことで大農場を経営していたオランダ系住民(ボーア人)はケープ植民地を脱出し、内陸部にオレンジ自由国とトランスバール共和国という国を建国する。
最初イギリスはこの動きを放置していた。
だがこの二つの国で金やダイヤモンド鉱山が発見されたことにより植民地化の動きが生まれた。
この時のケープ植民地首相はあのセシル・ローズ。
戦争の結果オレンジ自由国とトランスバール共和国はイギリスに併合されケープ植民地と共に南アフリカ連邦を形成されるにいたる。
ここで重要なのはイギリス系とオランダ系住民の関係である。
イギリス系は常に支配者であり、また困れば本国に帰ることができる。
ところがオランダ系住民は100年以上も南アフリカの地に根差しており、今更帰る国もない。
この映画でもそういう言い合いをしているシーンが何か所か出てくる。
また高等教育を受けたオランダ系住民は『正しいオランダ語』を話し、オランダ語と非常に似通った言語である英語も容易に話すことができる。
ところが『プア・ホワイト』と呼ばれる貧しいオランダ系住民はアフリカーンス語という『なまったオランダ語(何と過去の時制は過去完了形だけ!)』しか話せず、もちろん英語はしゃべることができない。
ところが南アフリカには白人のほかに黒人もいる。
白人より黒人のほうが数としても多いので、結局英語が喋れないのであれば人を雇うとなったとき黒人を雇った方が安上がりである。
というわけでプア・ホワイトの生活は常に脅かされていた。
だが南アフリカの白人社会においてマジョリティを形成するのはプア・ホワイト、というわけで選挙を行えばプア・ホワイト救済を掲げる国民党が勝利した。
国民党が政権を握るや否や白人救済政策が次々と出されアパルトヘイトが完成した、というわけ。
とくにイギリス系とオランダ系と黒人との三層構造の関係を理解していなければ、他の差別とは違うアパルトヘイトの特殊性は理解しがたい。
この映画の主人公ドナルドがイギリス系というのはかなり重要なファクターなのである。
もちろん映画にも善良な白人は大勢出てくる。
特に拷問を受けた後、ビコを診察した医師のなんとも悔しそうな表情が目に焼き付いている。
絶対見てほしい映画である。

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