第672号 今年は毎回大人数で楽しくラクロスしていますの巻

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【小太りで頭頂部が禿げている男が「付き合うならカップラーメン食べない人と付き合いな」と叫ぶ事案発生】系クラブチームの左大文字ラクロスクラブは3月20日、淀川河川公園毛馬グラウンドで定期練習を行った。
このグラウンド、大阪市内からのアクセスはいいのだが駐車場からは微妙に遠い。
部員は駐車場からの遠さをぶつぶつ愚痴りながら9時を過ぎて集合した。
本日ゲストに来てくれたのは大阪教育大学出身で宇田氏の教え子である、はる氏だ。
大教大でキャプテンをやっており、一部リーグのCYLにも所属していたそうで腕はピカイチだ。
「宇田さんが入れと言えば入ります」と高らかに宣言。
なお宇田氏は今日来れなかった。
今シーズンは始まったばかりなのに多数のゲストが来てくれている。
2020年の高速ラインドリルをしていたころが何だったのかと思わせるほどの盛況っぷりだ。

■大槻氏、結婚する

今回の練習終了後、田中氏に「なんか報告することあるやろ」と言われ、大槻氏が今月結婚したことを報告した。
「相手はアプリで知り合った子です!」と堂々の暴露。
その後グループラインでも再度結婚の報告をした。
大阪府の蔓延防止措置が明日3月21日で解除になるため、お披露目会の開催が多数の部員から熱望された。
お披露目会と称してただ飲みたいだけではないのか?
真相は開催されたときに明らかになる。
なお「今月中にキャプテン就任と結婚の挨拶を1,000文字以上でよろしく」とお願いをさせていただいた。
はなはだやる気のない大槻氏がどんな挨拶を書いてくれるのか皆さん楽しみにしていただきたい。
なお本人は1,000文字以上という条件が特に気に食わないらしく、盛んに文句を言っているが、「1,000文字に足りない部分は捏造するので」との条件を付けさせていただいた。
ともあれお楽しみに。

■今週の連載小説『南米旅行記 パタゴニア編その11 メンドーサ』

サンチアゴでの退屈な3日間ののち、アルゼンチンに戻ることにした。
バスターミナルへチケットを買いに行った時、バスターミナル内で一人の若い乞食に絡まれた。
日本人がイメージする乞食とは打って変わり、その乞食は町中にいそうな普通の健康そうな男性だった。
ストリートダンスをしていそうな細身の若者だった。
私の正面に立ちふさがり、やたらと手を差し伸べては金をせびってくる。
しかしインドで本物のバクシーシ攻撃を受けた私にとってはなんてことはなかった。
私は彼と同じように手を差し伸べて「マネー」と言った。
最終的に彼はアッカンベーをして颯爽と去っていった。

インドの乞食は見るからにみすぼらしいことが多いが、南米の乞食はみすぼらしくない。
おそらく乞食行為に対する心構えが違うのであろう。
インドに限らずアジア圏の乞食はみすぼらしい恰好が多い。
あくまで個人的な意見を言うが、乞食をするのであればみすぼらしい格好をすべきだと思う。
これはアジア的な価値観なのだろうか?
バスターミナルで見た彼のような乞食は、普通に飯を食べて、普通に服を買って、普通に遊んで、お金が無くなれば乞食をする、そんな感じなのだと思う。
偏見だといわれることを覚悟で書くが、日本でパパ活と称される行為をしている女性たちも同じような感じなのかな、と思う。

一日一便しかないブエノスアイレス行きのバスのチケットはもう売り切れていた。
アンデスを超えたメンドーサ行きのチケットはあったのでそれを買った。
ここまでくればアンデスはその幅を広げ、山を越えて向かい合うサンチアゴとメンドーサ間の距離は380キロにもなる。
ルート上の国境は南米最高峰アコンカグアに近く、そこはアコンカグアへの登山基地となっている。
サンチアゴを朝に出発したブラジル製のバスはくねくねとした道をうなりながら登っていった。
やる気のないおっちゃんの添乗員はそつなく仕事をこなすだけに精いっぱいのようだった。
彼はおそらくアルゼンチン人だ。
チリ人的な人懐っこさがなく、そして仕事にやる気がない。
国境を超える時は一度バスを降りて出入国審査を行う。
国境を超える時はじめてわかったのだが、バスには一組の日本人夫婦が乗っていたようだった。
その夫婦とは特に会話を交わしていない。
バスの席に戻った時添乗員に言われた。
「お前乗ってたっけ?お前の顔覚えてないんだけど」
そして一度そう言われただけでそのあとは特に何もなかった。
仕事、しろ。
アルゼンチンが没落していった理由が垣間見えた気がした。

アンデス山脈はもともと海の底が隆起してできた。
なので海水の塩分がそのまま大量に押し上げられている。
今でもアンデスには塩分濃度が高い所が多々ある。
国境付近には塩でできた塩の橋というものがあるらしい。
アルゼンチン側に入ってすぐの国道沿いにその塩の橋があった。
高知のはりまや橋よりも小さいその橋の上で観光客が写真を撮っていた。
標高は3000メートルを超える場所を、白人男性が2人ロードバイクで走っていた。
そしてバスは再びくねくねとした道を下り夕方にメンドーサについた。

バスターミナルにつけば宿の客引きのおっちゃんがいた。
値段は今でも覚えている。一泊100ペソ(約1,000円)だった。
「ブエノスアイレス行きのバスを見てきてもいいか?」と私は言った。
おっちゃんはうなずいた。
メンドーサから1,200km先のブエノスアイレス行きのバスは頻発していた。
その距離は東京から福岡、大阪から鹿児島よりもまだ長い。
バスは間隔でいえば15分に一本程度出ている。
まさしく頻発という言葉がふさわしい。
これだけ便数があるのだったらサンチアゴ~ブエノスアイレスの直通バスがなかったのも納得はできる。
逆に一日一便すらもいらないとは思うが。

メンドーサの名物といえばアンデスの観光だ。
そう、すなわち今日来た道を再び戻りあの国境付近を散策する。
名物は先ほど通った塩の橋だ。
「今日通ったしもういいかな」と思った。
ブエノスアイレス行きのバスのチケットを買った。
おっちゃんに再び会った。
「ごめん、ブエノスアイレス行きのチケット買っちゃった」
おっちゃんは何食わぬ顔で去っていった。
でも今思えばまた行くべきだったと思う。
ここまでくればもう足止めを食らうことなどありえない。
バスで一晩寝ればもうブエノスアイレスだ。
時間なんかいくらでもあった。
ウシュアイアやペリト・モレノやサンチアゴでダラダラしなければよかっただけなのだ。
パイネでWルートを歩くべきだった。
プエルトモンでもう一泊してペトロウエの滝を見に行くべきだった。
メンドーサで一泊してもう一度国境に行くべきだった、と思う。
一度来た道を引き返すことを躊躇してはいけないと思う。
来た道を引きかえさなかったら?
結局ベッドの上でダラダラスマホをいじっているだけなのだ。

スマホ一台あれば宿が即予約できる時代になった。
宿の客引きは今でも健在なのだろうか?
私はよく宿の客引きについていく方だった。
びっくりするほど安くていい宿もあれば悪い宿もあった。
客引きについていった宿は今でもよく記憶に残っている。
その感覚が好きで割と最近までよく飛び込みで行っていた。
宿にあぶれたことも一度や二度ではなくある。
でもスマホがあればそんな心配はもうない。
皆予約するようになって、宿の客引きがいなくなっていたら、ちょっと寂しいかなと思う。
逆にスマホがあれば即予約できるということは町に到着してから予約してもいいわけで、今でも宿を予約せずに行く人もいるのかな、そうだったらいいな、と思う。

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