第676号 お久しぶりの練習試合の巻

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【溶接ギャルが人助け後、警察に切符切られる「神なんていない」→励ましのチュッパチャップス届く「飴の神いた」】系クラブチームの左大文字ラクロスクラブは6月5日、淀川河川公園毛馬地区グラウンドにて大阪経済大学との練習試合を行った。           (鬼滅の飛行機の写真が撮れました笑)
先日の合同練習に続き学生との練習試合も4年ぶりに復活、今回もゲスト多数となった。
そもそもなぜ今回大経大だったのかというと、大槻氏の母校である大阪市立大学出身者が多数を占めるOLCのメンバーが大経大のコーチをやっているからとのことだ。
そんな感じだったら普通に知らないチームにDM送って練習試合しましょうと言っても個人的にそんなに変わらないと思うのだが、大槻さんどう?

さて試合であるが、まず1点をとられるも私が練習をさぼって山登りに行っている間に入団した岡山大学出身の高本氏が得点。
「相手マークマンぐちゃぐちゃ。中もがら空きやしいけるいける」と余裕をかましていたものの続々と得点され、ゲストの元ワイボ松木氏が得点するも2-5で敗北した。
そのあとグラウンドがまだ使えるからということでもう1Qお代わりしたが福田氏が得点するもまた得点され、3-6となりまあだいたいいつもの感じでゲームセットとなった。
そして最後に今回ゲストで来ていた楠木氏が入団を表明、熱い拍手をもって散会となった。

得点者 高本、松木(ゲスト)、福田(5Q)
結果 3-6(もしかしたら7かも)●負け

■WILDBOARS、廃部になる
毎年リーグ戦で当チームといろんな意味で熱い戦いを繰り広げていた、WILDBOARS(通称:ワイボ)が廃部になったとゲストの松木氏から発表された。
2020年、2021年とコロナでリーグ戦不参加だったワイボは、やっとのことで活動再開しようと思ったが人数が集まらず、廃部が決定したそうだ。
松木氏は「いやーコロナの間に皆気持ち離れちゃったんでしょうねえ……」と寂しそうに曇天の空を見つめていた。
「遠距離恋愛みたいですね」と私が言えば「いい例えですね」となんだかよくわからない大喜利を繰り広げられていた。
練習試合の前になんとも悲しい発表が行われ、一同はいつも以上にセンチメンタルになっていた。

■円陣、復活する
コロナのおかげで長らく見られなかった円陣がなぜかこのタイミングで復活した。
2年前試合はすることになったものの、円陣を組むことは協会から禁止された。
その後特に解禁するという知らせもなかったが、翌年になればどこのチームもやり始めていた。
「相手チームやってるんやからええんちゃう?よっぽど詳しいやろうし」と森田氏が発言。
なぜか試合開始前ではなくハーフタイムという謎のタイミングで円陣が復活した。
YouTubeやInstagramで各チームがライブをやっているこの時代に、チームメンバーは全く他チームの試合を見ていないことが露呈してしまった。

 

■今週の連載小説『南米旅行記 パタゴニア編その12 コロニア』

長距離バスに乗るのはもう最後だ。
ブエノスアイレス行きのチケットは一番いい座席を買った。
南米のバスの座席はスーパーカマ→カマ→セミカマというランクに分かれ、飛行機でいうとビジネス→プレミアムエコノミー→エコノミーというような感じだ。
そのスーパーカマのチケットを買った。
座席は180度のリクライニングで、それぞれの座席にモニターが付いている。
添乗員は飛行機のCAそのものだった。
映画を見てみたが当然英語とスペイン語のみだったのでよくわからなかった。
ブエノスアイレスまで14時間程度だったが、時間はあっという間に過ぎた。
ブエノスアイレスは大雨だった。
とても歩ける状況ではなかったので、地球の歩き方に載っている宿までタクシーで乗り付けた。
タクシーを降りてから宿の入り口までの本の1mの間に体がずいぶん濡れた。
日本人宿はもう選ばなかった。
日本語が聞こえないのがある意味心地よかった。
ただただ静かだった。

午後には雨が上がっていた。
帰りの飛行機まであと数日ある。
最後に日帰りでウルグアイに行くことにした。
ブエノスアイレスからラプラタ川をはさんで対岸のコロニアという町までフェリーが出ている。
旅行会社にチケットを買いに行くことにした。
日帰りと一泊コースが選べるという。
日帰りではATMで米ドルを引き出すのは禁止、一泊コースだとATMを使ってもいいという。
違いがよくわからないが、特に見るものはなさそうなので日帰りコースにした。

パタゴニアを回っているこの1か月の間、アルゼンチンでは通貨危機が起きていた。
2002年の通貨危機以来、アルゼンチン・ペソが対ドルが暴落し、1日で12%も値下がりしたという。
あわただしい資本主義社会から隔絶されたパタゴニアの地では全く意識することはなかったが、確かに一か月後に戻ってきたブエノスアイレスでは物価が上がっていた。
ガソリン価格が1.5倍程度になっていた。
後日の話ではあるが、エアポートバスの値段が行きと帰りで違っていた。
宿への帰りの余ったチリ・ペソをアルゼンチン・ペソに両替することにした。
ブエノスアイレスで何度か闇両替をしたが、闇両替の商人についていけば必ず同じところに連れていかれた。
フロリダ通りにあるビルの、地下一階にある怪しげな両替所だった。
カウンターでレートを聞き、あれドルよりだいぶレートが悪くねと思ったらチリペソが消え、アルゼンチン・ペソが差し出されていた。
となりに日本人の大学生らしき男性がいた。
「チリペソですか?」
「いやあ、余っちゃったんですよ」
そう言いその若者と別れた。
両替のレートで損をすると、しばらく悔しい。

翌朝8時半にフェリーが出るという。
朝7時には宿を出たら大丈夫だろう。
タクシーで行けば10分程度の距離だ。
歩いて行っても30分ぐらいで着くだろう。
ただし治安はあまりよくない。
フェリーターミナルまでバスで行くことにした。
バスを待っていたら泥酔したおっちゃんが看板を棒で叩いていた。
明らかにラリっていた。
「どこにいくのか」と聞かれた。
「ウルグアイに行くのでフェリーターミナルに行きたい」と答えた。
ちょうどそのタイミングでバスが来た。
おっちゃんが運転手に話しかけ、運転手が「乗れ」というサインを出した。
私はバスに乗り込んだ。

バスはいつまでたっても港につかなかった。
海からどんどん離れ、郊外の住宅街に向かっていた。
あれ、と思ったとき隣に載っていた女性に話しかけられた。
「どこにいくの?」
「ウルグアイ行きのフェリーに乗りたい」
「このバスは違うわよ!」
バスを飛び降りタクシーに乗った。
結局タクシー代を500円も払う羽目になってしまった。
フェリーターミナルには8時15分ごろ着いた。
案の定フェリーは遅れて出発するという。
あわただしく出国審査を済ませフェリーに乗った。
出国審査はとても楽だ。
アルゼンチンの出国カウンターからほんの数歩隣にウルグアイの入国カウンターがあり、パスポートは直接ウルグアイ側に渡してくれる。
ウルグアイの審査官は毎日ここまで通っているのだろうか、それともブエノスアイレスに住んでいるのだろうか、ふとそんなことを思った。

1時間の船旅が終わりコロニアについた。
乗客は一目散に消えていった。
おそらくみんなATMに行くのだろう。
完全に自由行動だった。
なぜ日帰りだとATMに行ってはいけないのかよくわからなかった。
やはり最初、そのままパタゴニアに突入するのではなく、いったんここに寄り、米ドルを入手してからパタゴニアに行けばよかった。
だったらあんなにひもじい思いをしないですんだというのに。
お金があってもそれを引き出すことができないというのは、おそらくお金がないことよりもつらいことなのかもしれない。
結局お金なんてただの数字だ。
それ以上でもなければそれ以下でもない。
その数字で人は天国も地獄も味わうことができる。

コロニアの町を散策することにした。
スペイン領のアルゼンチンとポルトガル領のブラジルとの緩衝地帯だったこの町には、ポルトガル様式の建物が見られるという。
スペイン式とポルトガル式の違いは東洋人はなんのこっちゃよくわからないが、確かに昔行ったマカオの建物に似ている気がした。
アルゼンチンからの観光客が大半を占めるこの町ではアルゼンチン・ペソが使える。
ただし通貨危機の影響でアルゼンチン・ペソのレートは著しく不利だった。
記憶があいまいだが、ブエノスアイレスでの闇レートの半分程度のレートだったと思う。
両替所で20ドルほど両替することにした。
1時間もぶらぶらすればもう見るものは特にはなかった。
太陽が真上から町の石畳を白く照らし出していた。
このなんとも言えない南国感が心地よかった。
やっぱり1泊すればよかったかな。
この太陽の下でぼーっとしたいと思った。

レストランで昼食を食べることにした。
アルゼンチンとウルグアイはともに白人が90パーセント以上を占め、町の雰囲気はヨーロッパそのものだ。
そして人々は時にヨーロッパ以上にヨーロッパ的である。
ヨーロッパのレストランで食事を頼むとき、飲み物を頼むのは「常識」である。
ステーキを頼んだ。
「飲み物は?」とウェイターに聞かれ「いらない」と答えた。
明らかに侮蔑のまなざしを向けウェイターは去っていった。
ウルグアイ人はおそらくアルゼンチン人よりもプライドが高い。

昼食を食べ終わりフェリーに乗った。
また、ブエノスアイレスに戻る。

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