第675号 合同練習の巻

【漁師体験だと思ったら逆だった…「アジ」になりきる施設コーナーが人気 「つかまる」から「たべられる」まで】系クラブチームの左大文字ラクロスクラブは5月15日、淀川河川公園大塚グラウンドにて大手前大学との合同練習を行った。
過去に練習試合や合同練習を手引きしていた秋本氏が2018年いっぱいで退団して以降、大学とのからみはぱったりなくなった。
だが最近やたらと色々な大学に遊びに行っているくにお氏が誘い掛けた。
だがコロナでなんやかんやで延び延びになり、なんと半年がかりで当チームとしても4年ぶりとなる合同練習が実現した。
今回来てくれたのは大手前大学の4回生、主将のAT山下君と副主将のG松原君、そして新入生2人と新入マネージャー2人、さらに桃山学院大学3回生のAT好井君だ。

大手前大学は4回生が5人で3回生は0人、2回生は1人とコロナ禍での部員の減少に悩まされている。
大学の活動規制が他大学と比べても特に厳しく、2022年5月現在でも公式戦以外の練習試合等は禁止、外部の人間はコーチとOB以外は入構禁止となっている。
もともと現3回生は5人いたのだが、練習試合等を全く行わないままリーグ戦に挑んだため、他大学との差に絶望しその学年は全員辞めてしまったという。
ところが今年は新歓活動が何とか功を奏し、今までに選手4人マネージャー2人が入部を決めた。
6日後の5月21日に学生交流戦が控えており、「大人数での活動を経験するため」という理由で何とか学生課の許可を得、今回の合同練習に来てくれたという。
またその交流戦は、大手前大学は桃山学院大学と合同チームを組むことになっている。
たまたまGWに桃山学院大学に遊びに行ったくにお氏がこのことを聞き、「大手前と合同チーム組むんやったら、ちょうど5月15日に大手前と合同練習するけど来る?」と誘ったところ、今回桃山学院大学の学生も遊びに来てくれた次第である。

4年ぶりとなる学生との合同練習に、当チームの一部のメンバーは気合満々。
他チームからも続々ゲストが相次ぎ総勢20人を超え、近年まれにみる大所帯となった。
みんなハイテンションで新入選手に1on1グラボを教え、また新入マネージャに仕事を教えていた。
ちなみにキャプテンの大槻氏は「じゃあシュー練10分×2でいきましょうか」と相変わらずのマイペースぷりを露呈。
「2時間しかないんやで。それ人数少ないときにやることやん。せっかく人数多いんやから大人数じゃないとできひんことをやろうよ」といつものいじりとは違うちょっとマジなことを言われていた。

ともあれ大手前大学さん、桃山学院大学さん、わざわざ遠い所をありがとうございました。
またいつでも来てくださいね。
僕たちも遊びに行きます。

■今週のコラム『大手前の去年のキャプテン』

最近まあまあ忙しく週末が完璧に埋まっているので、割と本気でコラムを書く暇がない。
まあ特に需要もないので書かないという選択肢もあるとは思うが。
大手前大学との合同練習があったので、ちょうど別のSNSで書いた去年の大手前のキャプテンのことについて書きたい。
おそらくラクロスのことを書くのは最初で最後かもしれない。
文字制限があったので少し文章がおかしなことになっているがご容赦願いたい。

↓以下本文

横田拓海、彼は私の『同期』だ。
社会人からラクロスを始めたのはおそらく日本で私ただ一人だ。
ラクロスを始めた頃、大手前大学との合同練習があった。
いつもは土曜日は仕事だが、その日だけたまたま休みだったのだ。
大学の部活と言えば大人数で、熾烈なレギュラー争いのために身を捧げなければいけないと思っていた。
母校のラクロス部に入っても、私はきっと4年間Cチームのままで終わるだろう。
決して強くはないが先輩と後輩が和気あいあいとしている様子は、私にとってとても魅力的に思えた。
「俺、最近までラクロスが交代できるって知らんかったんよね」と上回生がつぶやいていた。

「君、初心者だからあそこの新入生と混ざって」
そう言われ新入生たちの中に放り込まれた。
5~6人はいたと思う。
ラインドリルをすれば2回に1回はボールが抜けていった。
その中に1人、明らかにオーラが違う人がいた。それが拓海だった。
華奢な体でとんでもなく足が速かった。
全く追いつけなかった。世界は広いなと思った。
2on2で組むことになればお互いのクロスを重ね合わそうとするのだった。
フリーのゴールにシュートしたら外れた。
彼は地面に突っ伏して悔しがっていた。
「この子だけは辞めないだろうな」そう思った。

数か月後私はバイクで事故を起こした。
交差点を直進中対向車がいきなり右折し、跳ね飛ばされた。
バイクも車も廃車、大腿骨は粉砕骨折、骨盤は真っ二つに割れ膀胱は破けた。
あまりの激痛で私は救急車の中で麻薬を打たれた。

夢を見た。
私は母親の実家にいた。
山口の萩という城下町にある家で、二軒長屋の奥にさらに家を増築したので14KKK、庭だけで3つあるという間取りだった。
そこで誰かの法事をしていた。
亡くなった祖父が私の名前を呼んでいた。
私はふらふらと祖父の部屋へと向かった。
祖父の部屋は一番奥にある。
祖父の顔が見えるかどうかというところで目が覚めた。
「ああ、体が動かない!」
ほんの数秒前まで、夢の中で私は自由に動き回っていたというのに!
真っ暗なICUの中でただ泣いていた。
寝返りすら打てない。
腹筋は骨盤についているため、くしゃみをすれば割れた骨盤がずれて激痛で悶えた。
今思えば夢でやっていた法事は私の法事だったのだと思う。

「また歩けるようになるかはわからないです」
医者はそっけなく言った。
病院にはいろいろな人がいた。
夜中誰誰が亡くなったと電話する声がよく聞こえてきた。
足を切断した人がいた。
脊椎損傷で首から下が動かなくなった人がいた。
頭がおかしくなった人がいた。
よだれを流しながら、全く力の入っていない腕で、妻を殴ろうとしている人がいた。
「前までは優しかったのにねえ……」
と見舞いに来た知人が気まずそうにつぶやいていた。
私はまだましな方だ。

4か月という入院期間を経て私は退院した。
当然チームのみんなは私がラクロスが嫌になってやめたものと思っていたらしい。
「また一緒に、ラクロスしようなぁ……」
バツの悪そうに、そう言われた。
足を引きずりながらラクロスの練習に復帰した。
なんとか練習についていけるようになったころ、コロナでまたラクロスができなくなった。

「そういえば大手前の彼は今どうしているんだろう?」
SNSで拓海を見つけた。
彼も私のことを覚えてくれていた。
彼は3回生にしてキャプテンになっていた。
どんな弱小チームでも3回生にしてキャプテンになるのは異例だということは私にもわかる。
「ああ、そういうことだったんだな」
面白いもので、1回しか会っていないがだいたいわかるものだ。
あの時いた新入生は最終的には2人にまで減っていたという。
遊びに行こうと思ったが、コロナで部外者は大学に入れずなかなか遊びに行くことは難しかった。
試合も無観客で行われていた。

月日は流れ拓海はとうとう引退するという。
試合を見に行こうと思ったが相変わらず無観客だ。
そこで私は思いついた。
「カメラマンとしていけばいい!」
私はアポを取りカメラマンとして会場に赴いた。
3年ぶりに会う彼の背中はたくましくなっていた。
最後の追手門学院大学戦で負けた。
彼は片隅で1人泣いていた。
「今まで本当に頑張ったんだな」
そう思った。
ただ嫌な事から逃げ続けて生きてきた私にとっては衝撃的だった。
22歳にしてそこまで打ち込めるものを私は何も持っていなかった。

その前の流通科学大学戦で彼の学生最後のゴールを撮ることができた。
写真を見返しながら何度も震えた。
少しボケているが、今まで撮った写真の中で一番いい写真だったと思う。
ラクロスを始めて、写真を始めて、彼に出会えて、本当に良かったと思った。
あのとき休みでなかったらと思うと今でもゾッとする。
彼は関東で就職が決まっているという。
きっとFALC○NSかSTEAL○RSだと思うので、また彼を撮影しに行きたい。



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