キャプテン結婚おめでとう系左大文字ラクロスクラブは定期練習の前日22日、神戸の高級結婚式場にて我が左大文字ラクロスクラブのキャプテン志水氏の結婚式に参列した。
さすが我がチームを率いるキャプテンだけあり、チームの参加者も満足のドリンクの数々。この夫婦の酒好きっぷりが見事に表現されていた。
数々の演出を見事にサポートした左大文字のチームメイトだったが、やはり常々キャプテンにいじられているキャラの大槻氏。この日も志水夫婦からの強烈ないじりに酔いしれていた。
といつもと変わらない楽しいいじりを堪能しながらあっという間にお開きの時間に。
奥様今後とも左大文字ラクロスクラブの大槻を温かい心で見守ってください。
という事でハッピーな気持ちのまま早々に、飲み足らない面々は駅前へと移動したのでありました。
そして翌日→→
パスタがアルデンテに茹で上がってるか確認するときに活躍する釣り人$16系クラブチームの左大文字ラクロスクラブは8月23日、淀川河川公園島本グラウンドにて定期練習を行った。
急に猛暑となった8月ももう下旬、ほんの少し暑さも和らいでいた。
ラクロスの練習はサッカー・ラグビー場を使うことが多い。
十中八九、我々の後には少年サッカーチームが待機している。
ラクロッサーはサッカー出身者が多いこともあり、水道に群がりながら青春を満喫している少年たちを片目にサッカーの思い出に花を咲かせた。
「うちのコーチは言うことはまあまともやったけど、そもそも明らかにサッカーができる体形じゃなかったわ」等々謎のボヤキをつぶやきながら練習を終えた。
ほぼ誰も意識していないと思うがこのグラウンド、ほかの淀川グラウンドとは違うところが一つある。
それは駅から徒歩で行けるということである。
しかも阪急とJRでアクセス可能というそこそこの便利さ。
というわけでやたらと交通事故を起こす筆者、電車で行ってみた。
山崎の駅で降りて古い街並みを散策しながらグラウンドに向かった。。
へえ、こんなおしゃれなレストランもあるんや、今度行ってみようとか思う。
車で通るだけだったら絶対何も思わないだろう、歩くのも悪くないなと思った。
帰りの電車に乗りながら職場のおばちゃんにもらったポリッピーを食べだした。
手が止まらない。
帰りは阪急で帰ったが、大山崎から上新庄ぐらいまでずっとポリッピ―をぽりぽり食べていた。
ポリッピ―は危険だ。ただでさえ止まらないのに量も多い。憎むべきダイエットの敵だ。
あれいったい何の話だ?
今週の試写室『火垂るの墓』
8月というので昔はよくやっていたこの映画について語りたいと思う。
この映画、見る人によってずいぶん意見が違ったりする。
主な対立構造は「西宮の伯母はひどい人」と「伯母が言っていることは正論で清太がただのグータラニート」という意見だ。
あともう一つ、「父親が海軍士官なら飢え死にするはずがない」ともよく言われている。
この原作小説、作者の野坂昭如氏が締め切りに追われながら喫茶店で書いたというだけあって詳細な時代考証が完全に放棄されており、それが膨大な矛盾につながっている。
節子の衰弱がひどくなってから清太が母親の預金を引き出しに行った。
残高が7000円あったがそれは当時家が一軒建つほどの金額であったらしい。
なぜそれまでそれに手を付けていなかったのかも不可解である。
当時はインフレが激しく物々交換が優位だったのでお金に価値がなかったといわれているが、少なくとも七輪は買えている。
ここで初めて預金を引き出しに行ったということは少なくとも伯母は預金にはノータッチであったということであり、世話している子供の通帳に全くノータッチというのも変な話である。
後は海軍士官が死亡したのであれば、生き残った部下や同僚が「立派な最期でした」と報告をしに来るような話を昔よく聞いたのだが、特にそれもないのも変な気がする。
海軍士官というのは今でいうところの警察署長ぐらいの感じだろうか?
警察署長が殉職したとして部下が全く訪れないと考えたら確かに異様な気がする。
父親が乗る『摩耶』が沈没したのは1944年10月のレイテ沖海戦、そこから半年以上誰も訪れないものなのだろうか?
また軍人が殉職したとなれば恩給がもらえる。
だいたい聞く話によるとその額は今の金額で月20~30万円ほどになるという。
寝ているだけで月20万円もらえる、いわば『ATM』であり、それをみすみす伯母が手放すのもよくわからない。
なぜ通帳にノータッチなんだ?
邪険にするというよりむしろ上客なはずだが。
父親の生死ははっきりとはよくわからないが、少なくとも伯母は死んでいると思っているわけで、恩給の話が出てこないのはおかしい。
実は原作者の野坂昭如氏、養子に出され血のつながらない妹がいた。
腹が減っては妹の食べ物を奪い、夜泣きしているところをうるさいと言って殴り脳震盪を起こさせるほどだったらしい。
その結果妹は衰弱死してしまった。
戦後になって野坂氏は「何てことをしてしまったんだ!」と自責の念にとらわれ生まれたのがこの小説らしい。
愚かな兄は最初から死ななければならなかったということである。
現実は小説は奇なりとはまさにこのことだ。
そして野坂氏、映画監督の大島渚氏の結婚式で殴り合いをしている。
その殴られた大島氏は『戦場のメリークリスマス』という曲は有名だがストーリーは誰も知らない、彼女と見に行くにははなはだふさわしくない戦争映画を作っているので、これも好対照で面白い。
彼女とみるにはふさわしくない理由、是非皆さん実際に見てみて確かめてほしい。
野坂昭如と殴り合う大島渚
野坂昭如が大島渚をブッ飛ばした! 伝説の殴打事件を振り返る – エキサイトニュース https://www.excite.co.jp/news/article/E1469584579282/
参考URL
【前編】『火垂るの墓』を冷酷に時代考証してみる https://yonezawakoji.com/hotarunohaka_part1/
【後編】『火垂るの墓』を血も涙もなく時代考証してみる https://yonezawakoji.com/hotarunohaka_part2/