第653号 2021年始動の巻

【20代女性「職場にエスペラント語をしつこく勧めてくる男性がいて困ってます】系クラブチームの左大文字ラクロスクラブは3月7日、淀川河川公園鳥飼上グラウンドにて今年初練習を行った。

 

昨年に引き続き再度出された緊急事態宣言も明け、緊急事態宣言に従い活動を自粛するチームもあれば、特に活動を自粛することもないチームが入り乱れていた。
ただ単に寒いのが嫌なのか、どうせ人こんやろと高をくくっていただけなのか、去年本気でお世話になったかぶとむしの練習が7時からで早起きするのが嫌なだけなのか、当チームは律義に活動を自粛。
宣言解除を待っての活動再開となった。 去年ほどではないが微妙に長かったこのオフシーズン(忘年会新年会がなかったので特に長く感じたな)、マッチングアプリでの出会いに明け暮れるものもいれば、ひたすら山登りに明け暮れるものもいたそう。

しばらくご無沙汰だった野尻氏(京大)は実家の町工場に転職して3年ぶりの登場、田畑氏(東大)は同期のゴーリー斎藤氏(漢字これでいいのかな?)を引き連れ1年ぶりの練習参加となった。
斎藤氏はやる気満々で道具を新調。
注文中のヘルメットはまだ届かず体を動かす程度だったが、ヘルメットが届き次第バンバン練習に参加したいとのことだ。

志水氏の「じゃあ大槻アップよろしく」との発言後、大槻氏は「へ、配布?」と相変わらずの天然っぷりを発揮。 2列に分かれてシュート練習をする時は、皆1回ずつ球出ししてからボールをもらうのに自分一人だけボールをもって走り出すというボケっぷりも見せつけ、202

1年の大槻氏はこれまでとはまた一段とレベルアップしていたようだ。
彼は「僕はもうひっそりと生きていきたいんです!そう、貝のように!」
と某有名ドラマを彷彿とさせる謎の発言を連発していたのだが、きっと彼の天然ぷりは左メンバーもOLCメンバーもついていけないレベルだと思うので、週刊左でも逐一報告したい。

去年の人数の少なさがウソのように、OLCも参加し合計人数は20人弱だった。 各メンバーは酒におぼれたオフシーズンがウソのようにキレッキレの動きで6 on 6を満喫し、久しぶりのにぎやかな練習となった。
今年はこのまま和気あいあいといけそうか?
それともまた徐々に人数が減っていって秋には3人とかになるのか?
2021年の左大文字からまたまた目が離せないぞ。

■今週の連載小説『南米旅行記 パタゴニア編 その2 ウシュアイア・後編』

「ネタがない」と言い続けはや数か月、禁断の旅行記に手を付ける羽目になった。
今日「実は書きたいんでしょ」とのツッコミを受けぶっちゃけまんざらでもないのだが、これを書かねば逆にモチベーションが保てないというよくわからない病気にかかってしまったので需要が全くないのはわかっているのだが私はあえて書きたい。
このペースだと今年のコラムはずっと旅行記になってしまう気がするので、気が向いた時にちょいちょい書くことにしようかなと思うので皆さんご安心を(?)
↓以下、本文。

夜が明けた。ウシュアイアは南緯55度。北半球でいえばカムチャッカほどの緯度にある。
季節は真夏。真夏のウシュアイアの夜は恐ろしく短い。
すっかり明るくなった空の下、まだ完全に治っていない時差ボケと、50時間にもなるバス旅の疲れのためか私は眠りこけていた。
日本を出発して30時間以上飛行機に揺られ50時間バスに揺られてここにやってきた。
3人組も車の中で爆睡していた。
宿に泊まっている人たちが続々起きてきた。
「おはようございます。国立公園、行きますか?」
「はい、行きます」
私はそう答えた。私はこのまま上野山荘に泊まることにした。
車の秋はあと2人、3人組はあぶれてしまう。
結局3人組はそこでお別れしタクシーで市街地へ向かっていった。
帰国してから彼らのブログを見つけた。
3人組はこの件についてかなり恨んでいたらしい。

レンタカーには10人程度が乗っていたと思う。
全員日本人だ。
ブエノスアイレスの上野山荘で泊まっていた人とも再会した。
世界一周中でアメリカから南下し、南米はベネズエラから陸路でブエノスアイレスに来たという彼は飛行機で早々とウシュアイアに到着していた。
「昨日のは、君だったのか」
私を見て彼はそう言った。

レンタカーは当然MT、国際免許を持っているドライバー係の人が「サイドブレーキはちゃんとおろして……」
とつぶやいている。
助手席にはドライバー係の人の恋人らしき女性が座っていた。
小一時間車を走らせティエラ・デル・フエゴ国立公園についた。
入り口にはこんな看板が立っている。
『国道3号線・終点』
これが何を意味するのか?実はここがアラスカから延々続くパン・アメリカンハイウェイの終点なのだ。
アラスカまで、17,848km。
私はついにここまで来た。

皆で国立公園を散策した。
見たこともない蘭の花が咲き、見たこともないキノコが生えていた。
散策道はビーグル水道の海岸に出る。
そこに『最果て郵便局』がある。
公的な郵便局ではなくおっちゃんが個人的にやっているのだが、郵便物を出せばもちろん届く。
そこでお金を払えば(確か20ペソ=200円程度だったと思う)記念スタンプをパスポートに押してくれるサービスがある。
皆こぞってスタンプを押してもらいに行っていた。
私は行かなかった。
ただのスタンプじゃないか、なんでそんなものをパスポートに押してもらう必要がある?
きっと私にはミーハーなところが足りない。
皆でビーグル水道に向けて小石を投げた。
私が投げた石は水面に一回跳ね返っただけで力なく海中に沈んでいった。

国立公園を後にし『斜めの木』を見に行くことにした。
パタゴニアは風が強い。
南半球には陸地が少ない。これは風を遮る山脈がないことを意味する。
南に行けば行くほど陸地は少なくなり、常時猛烈な風が吹き荒れる。
パタゴニアで育つ木はその猛烈な風のために斜めになって育っていく。
ただしその木は限られた場所でしか見れない。
風が弱い所では木はまっすぐ育つし、強すぎるとそもそも木が生えない。
宿に残された、先人が書き記したノートを頼りに車を走らせた。
たしかに斜めの木があった。
確かに自然界にはあまり見られないかもしれない、でも私はどうにも盆栽を思い出した。

ここフエゴ島にはかつてオナ族という先住民族がいた。
アフリカで発生した人類が、ベーリング海峡を渡り1万年ほど前にフエゴ島に到着した。
人類が世界中ありとあらゆる環境に適応できたのは衣服のおかげだ。
だが裸で生まれた人類は、フエゴ島まで来て衣服を捨てた。
なぜか?パタゴニアは猛烈な風が吹き荒れている。
ツンドラ気候に近い西岸海洋性気候で気温は年中低く、猛烈な風が吹き荒れるため、天気はめまぐるしく変わる。
雨でぬれた衣服はパタゴニアの強風により容赦なく体温を奪う。
オナ族は衣服を捨て裸で生きる道を選んだ。
大航海時代になってスペイン人宣教師がやって来た。
裸で暮らす彼らを見て宣教師は可哀そうだと思い衣服をプレゼントした。
だが彼らは洗濯ということを知らなかった。
洗濯することもなく同じ衣服を着続けた彼らは伝染病にかかり絶滅してしまった。
車の誰かが言った。
「でもさ、オナ族ってぶっちゃけ○○ニーだよね」

夜に皆でアサードパーティーをするらしい。
聞けば明日何人かが出発するのでその送別をするらしい。
スーパーに肉を買いに行った。
あるものはレンタカーを返却し、あるものはそのままバスで宿に帰った。
宿に帰ったのは20時を過ぎていたと思う。それでもまだ夜ではない。
「サルー!」
スペイン語で乾杯の意味だ。
皆こぞって肉を口に運ぶ。
気が付けば昨日の昼、バスの中で出された食事以来ほとんど何も食べていなかった。
アルゼンチン人の主食は牛肉と言われるほど、アルゼンチンの牛肉は本当においしい。
脂がほとんどなく、かといって固いわけでもなくジューシーなのだ。
酒が回り始めてみんなが喋り始める。レンタカーに乗っていたときはみんなあまりしゃべっていなかったのに。

皆が旅に出た理由は様々だ。
青年海外でボリビアに赴任し、休暇を取ってウシュアイアに来た者がいた。
大学を卒業後どうしても旅行に携わる仕事がしたいと観光の専門学校に入り直し、その卒業旅行で来た人もいた。
2人こぞって仕事を辞め、世界一周の旅に出たカップルも2組もいた。
テレビ朝日を辞めて世界一周の旅に出た人もいた。
ここにいれば、仕事を辞めて旅に出るのが当たり前に思えてくる。
皆、恵まれている。
日本に帰れば、仕事を辞めるなんて考えもつかない人がほとんどだというのに。
「仕事を辞める」という言葉が、新しい出発を意味するわけではなく、ただただ悲壮感と絶望をもってしかとらえられない社会。

「くにおさん、何で飲んでないんですか」
テレビ朝日を辞めて旅に出た人だった。
丸一日以上食事をとらなかった経験は今までほとんどなかった。
すきっ腹に酒は入らなかった。
「そんなことでいいと思ってるんですか」
テレビ業界の人間の飲みようはすごいらしい。
深夜まで仕事をして、そこから延々飲み会をし、そして寝る間もなく朝出社ということが当たり前らしい。
でも私はそんな業界知ったことではない。
そんなことができるようなバイタリティがあればそもそも私は警察学校を辞めていない。
私は思った。結局ここも日本社会なのだ。

22時を過ぎて空が暗くなってきた。
かつて日本で添乗員をしていた30歳前後の女性がいた。
彼女の酔いっぷりはすさまじかった。
「皆もう明日には離れ離れになっちゃう!皆でビーグル水道に石を投げたのは本当に楽しかったのに!別れちゃう!」
と言ったかと思えば、
「私金星に行きた~い☆」
とゲラゲラ笑い出した。
彼女(以下、金星さん)を介抱するという態で二階に連れていき、ついでに私もお暇することにした。
やっとベッドで眠れる。

夜が明けた。
ウシュアイア発のバスは朝早い。5時や6時に一斉に出発する。
朝6時前に目が覚めた。
一階に下りれば金星さんが一人で泣いていた。
「私、みんなと離れたくない」
彼女は本当にさみしがり屋なのだろう。
「また、会えますって」
私はそう言った。
タクシーがやってきた。
金星さんと専門学校の卒業旅行できた彼の2人を見送った。
トイレに行けば、昨日絡んできたテレ朝さんが、あしたのジョー最終回のジョーのようになっていた。

私も、次の目的地へ行かなければならない。
南極まで行ってしまおうか?それとも南極はあきらめるか?
南極に行くにはクルーズ船で行かなければならない。
クルーズ船はブエノスアイレスを出港し、ウシュアイアに寄港し南極に向かう。
だがサンチアゴやブエノスを出発した時点で満員ではない。
その空きを埋めるためにウシュアイアで南極行きの切符を『格安』で販売する。
その値段は約4,000ドル。
ブエノスアイレスで申し込めば優にその倍はするらしい。
でも私にはそのお金はなかった。
次の行き先は決まった。北上だ。

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