第654号 大槻氏30歳になるの巻

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【大手コンビニ社員「残業までしておにぎりの小型化を試行錯誤してるのに“こっそり小さくしている”とSNSで叩かれ辛い」】系クラブチームの左大文字ラクロスクラブは4月4日、淀川河川公園島本グラウンドにて定期練習を行った。
前回の練習後、3月14日と28日はグラウンドが取れず、21日から2週連続の日曜だけ雨。
本日4月4日も3週連続雨の予報で、「今週もなしか~」と思いきや当日朝になっても雨は降っていなかった。
グラウンド近くに住んでいる人同士で話し合い「やるか!」と決まったのが7時30分だった。
ちなみに私はもうその時点で家を出ていた。ばくちは当たった。

本日ゲストに来てくれたのは某大学出身MFの田村君。
彼は大学3回の春に足のケガでラクロスを続けられなくなりラクロスをいったん辞めた。
ところが社会人になってから数年たったある日女子ラクロスをやっている人と知り合い、再びラクロスをやりたくなった。
その女性から詳しい人を紹介され、さらに紹介されたのがじゅんじゅんこと田中純一氏だった。
そこから純一氏に相談し、当チームを紹介された矢先にコロナでそれどころじゃなくなった。
満を持してオフシーズン明けに合わせて参加してくれたということらしい。
道具一式も買い揃えてやる気満々、チーム待望の20代ということで新戦力としての活躍が期待される。
練習後「やるからには真剣にやりたいと思います」と高らかに宣言、「真剣じゃなくてええで」なんてゆるゆるなツッコミを受けながらも和気あいあいと練習を終えた。
また来てくださいね。

■『大槻氏、30歳になる』

さる1月10日は『日本人に一番愛されている男』こと福沢諭吉、元TOKIO山口メンバーの誕生日である。
この名誉な日に『左大文字の山崎賢人』こと大槻明広氏(と筆者)は誕生日を迎えた。
大槻氏はとうとう、かのイエス・キリストが伝道の旅に出た年齢である30歳になったそうで、その前後の様子をリポートしたい。

普段から「仕事とプライベートを楽しみたい」と思っている大槻氏は、チームの誰もがうらやむ酒池肉林な日々を送っている。
それにもかかわらず、ご自慢の美貌とチャラさを武器に、世間ではやりの出会い系アプリで手当たり次第イイネを送りまくっていたそうだ。
そしてその大槻氏の毒牙にかかった女性に30歳の誕生日を派手に祝ってもらおうとしたらしい。
なんと5人もの女性が見事に大槻氏の罠に引っかかった。
お決まりの「あれ?プロフィール写真とちがくね?」的なことも経験したという。
チャラさが取柄の大槻氏は相手の気を引こうと「実はジャニーズに所属している」と自慢げに言うと、「私はBTSのほうが好きなんで」等と訳の分からないことを言われてあっさり振られたりしたらしい。
結局誕生日は特に何の予定もなく、「生産的な時間の使い方をしよう」と気分転換に近所の山をぶらぶら歩いたりもした。
パラグライダーで不時着した財閥の娘と恋に落ちるという某ドラマ風な展開を期待していたものの、そんなことはまったくなかった。
淀川沿いをランニングすれば犬に追いかけられたりと、「日本には狂犬病がなくてよかったなあ」とつくづく日本の平和さをかみしめながら、終始だいたいそんな感じで割と有意義な年末年始を過ごしたらしい。
結局「仕事とラクロスとプライベートをもっと楽しむ」というありきたりな今年の目標を設定し、30歳も今までと同じようなイケイケの芸能生活を送っていくつもりらしい。
30歳になった大槻氏からますます目が離せないゾ。

■今週の連載小説『南米旅行記 パタゴニア編 その3 プンタアレーナス』

ウシュアイアで長旅の疲れを癒そうとただだらだらとしていた。
共用スペースに「宿の中に外部の人を絶体入れないでください」と書かれた紙が貼られていた。
チェックインしたときにはそんな紙はなかった。
この紙が貼られたのは私のせいだ。
「これ、僕のせいですよね。ていうか絶体て漢字違いますね」
「絶対ってことじゃないんだろうからいいんじゃない?」
近くにいた人が答えた。
その紙の隣には関西人におなじみのテレビ番組、MBS『ちちんぷいぷい』の西靖氏の写真が貼られていた。

宿にいるのは日本人だけ。テレビをつければNHKが流れていた。
NHKのニュースを見た。首都高速渋滞情報が流れていた。
日本にいるのと何も変わらなかった。
スポーツニュースのコーナーでだけ「放送権の制約上、海外ではご覧いただけません」と映像が切り替わった。
その一瞬、ほんの数秒だけ、私は海外にいた。

青年海外協力隊でボリビアに赴任し、休暇を取ってパタゴニアへ旅行に来た青年(以下、ボリビア君)がいた。
彼にパスポートを見せてもらった。
「本当に緑色なんですね」
パスポートの最初のページには渡航可能な国が記されていた。
それは南北アメリカの国だけだった。
少しだけ、緑のパスポートへのあこがれがあった。
緑のパスポートは外交官用のパスポートだ。
これがあれば出入国審査で、乗務員・外交官用のレーンに並べる。
でもそんな憧れは一瞬で吹き飛んでしまった。
誰でも持っている、青と赤のパスポートはすべての国に渡航が可能なのだ。
特別なパスポートなのに、普通のパスポートより制約されている。
私は列に並んでも、自由がほしい。

彼が言うには中南米は当たりなのだという。
世界的言語であるスペイン語が学べる、それが非常に大きいのだという。
スペイン語とポルトガル語は非常に近しい言語なので、基本的にスペイン語が話せれば中南米唯一のポルトガル語圏であるブラジルを含め、中南米どこでも生きていける。
「ニューギニアとか最悪ですよ。ニューギニア語とか話せても何にも活かせないし」
また上司である外務省の職員への接待が大変だそうだ。
結局どこまで行っても日本からは逃げられない。
もっと言おう。
日本人であるという呪縛からは逃げられない。

近くに小さい氷河があるという。
一人でハイキングに行くことにした。
夏のウシュアイアの最高気温は12,3度ほど。
それでも人々は短い夏を謳歌しようとしていた。
人々は家の軒先にベンチを並べ水着を着て日焼けしていた。
行った先は氷河というよりはむしろ雪渓だった。
雪渓を上った先からビーグル水道が見えた。さらにその先にはチリ領のナバリノ島が見えた。
私は確かに世界最南端にいる、でもまだ南がある。

ここにきてしまえばもうウシュアイアで行くところは本当になかった。
バスのチケットを買いに行った。
行先はチリのプエルトナタレス。
世界的な有名な景勝地・パイネ国立公園(Windows10のログイン画面にここの写真がよく出てくる。気になる人はググってみて!)への基地となる町だ。
途中マゼラン海峡に面した町、プンタアレ―ナスで一泊する。
宿にはWi-Fiはなかった。インターネットにありつこうとすればどこかに行かなければならない。
だいたいみんなショッピングセンターか、観光案内所のフリーWi-Fiを使っていた。
観光案内所でWi-Fiを堪能していたらこの間の3人組に会った。
「あ、お疲れっす。結局上野山荘に泊まってるんですか?」
「あ、こないだの、お疲れ様です。ええそうですよ」
「俺らあそこから探してセントロ(中心部)に泊まったんですよ。セントロの宿はやっぱいいですよ。値段は上野山荘とそんなに変わらないし、Wi-Fiあるし」
彼らは何かが吹っ切れた顔をしていた。
きっと、何かをあきらめることで何かを得たのだろう。私は何をあきらめ何を得たのだろうか?

バスは数日後に出る。
まだ日数がある。
ただだらだらと過ごした。
クルーズ船に乗ってペンギンを見に行くツアーがあったがどうにも行く気が起きなかった。
ペンギンなんか天王寺動物園でも見れる。
この感覚は変わらなかった。私はその後わざわざ南アフリカのクルーガー国立公園に行って同じことを思った。
人間はそう変われない。
食事はみんなと同じように自炊していた。
毎回、肉。アルゼンチンはわけのわからないほど牛肉が安い。
少しずつ旅人が出発し、新しい旅人がやってきた。
ある者は南極へ、ある者はプンタアレ―ナスへ、ある者はブエノスアイレスへ。

私の番が来た。
早起きしてタクシーに乗り込み、セントロに集結しているバスに乗った。
話通りバスは一斉に出発した。
行きと同じようにまず同じフエゴ島にあるリオ・グランデでバスを乗り換え、バスはチリ領へ入りマゼラン海峡を渡った。
アルゼンチン側の道路は良く舗装されていた。
対してチリ側の道路は舗装されていなかった。
かつてアルゼンチンは南米一の大国だった。
アルゼンチンはほとんどがスペイン系とイタリア系の移民で構成されている。
ブエノスアイレスでご飯を食べに行ったら、明らかに旅行者じゃない人が店員にイタリア語で話しかけているのを見た。
そしてチリはスペイン系の次にドイツ系移民が多い。
そのドイツ譲りの勤勉さでチリの一人当たりGDPはアルゼンチンを抜き南米一になった。
アルゼンチンはチリに負けた。
基本的に国境へ行く道をどこの国も舗装したがらない。
国を出ていく人のために使うリソースはない。
これは日本でも同じだ。県境を境に道路の立派さがガラッと変わることはよくある。
チリはその原則を忠実に守っていた。
だがアルゼンチン側の道路が良く舗装されているという事実は、かつては大国だったアルゼンチンの誇りが見えた。

バスは夜遅くにプンタアレ―ナスについた。
かつて大航海時代から19世紀にいたるまで、太平洋と大西洋を行き来する世界中の船がマゼラン海峡を通った。
プンタアレ―ナスは栄えに栄えた。
だが20世紀になりパナマ運河が開通すると、船はマゼラン海峡を通過することはなくなり、プンタアレ―ナスはただのさびれた田舎町になった。
これは私の勝手なイメージなのだが、パタゴニアの港町はどこか北海道の港町に似ている気がする。
ウシュアイアは、小樽。プンタアレ―ナスは稚内かな。

バスターミナルに宿の客引きのおばちゃんがいた。
宿まで車で送ってくれるという。
私はチリペソを1ペソも持っていなかった。
宿の人にATMの場所を聞きお金をおろしに行った。
ATMで引き出しはできなかった。どのカードでも結果は一緒だった。
しまった!またか!
ATMで引き出しができなかった旨を伝えると、お金は明日でいいと言ってくれた。
明日は日曜。銀行は開いていない。
もし明日も引き出しができなかったらどうしよう?
不安で仕方がなかった。
今思えばドルで支払えばいいだけなのだが、こういうところが初心者だった。
旅に出れば、後から振り返ればトラブルですらない小さな小さなトラブルが無数に降りかかってくる。
これが人を成長させる。こんなどうでもいいような小さい経験であれ、一個一個クリアしていくのとしていかないのとでは、後々大きな差が出る。
世の中には旅が好きではない人がたくさんいる。
きっと、そういう人たちはこういう経験をただ恐れ、そしてそこに価値を見出せないのだと思う。
私は思う。こういう経験をすることは絶対に損じゃない。
皆、旅に行くべきだ。そして一人で。
旅慣れた人がいると、その人に甘えてしまう。だから一人で行かなければならない。

翌朝再びATMに行った。お金を引き出せた!
ATMの設定で夜は引き出せないだけだった。
手早く朝食を済ませ、チェックアウトし、バスに乗った。プエルトナタレスはここから数時間、朝出たら昼には着く。
今までに比べたらへでもない時間だ。
パイネ国立公園、どんなところなんだろう?

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