第656号 強風注意報の巻

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【アマゾン社、同社の倉庫で働く喜びを伝える謎のアカウント群が世界中で発見される】系クラブチームの左大文字ラクロスクラブは4月18日、淀川河川公園鳥飼上グラウンドにて定期練習を行った。
なじみすぎてゲスト感がすっかり消えうせた原氏、2回目の練習となる田村氏も交え総勢15名が集まった。

今日来てくれたのは昨年夏以来となる宮田氏(大阪市立大)。
転職で大阪にまた住むことになったので、皆さんまたよろしくと話していた。


懸念されていたAT陣の強化も達成される見込みで、リーグ戦への期待が高まるところだ。 「単独で6on6できるのもう1年ぶりぐらいちゃう?」と皆人数の多さに感激していた。
と言っても人数はやはりぎりぎり。
カナディ、6on6を中心としたメニューをレストほぼなしで満喫し、メンバーは久々の充実した日曜を送ったそう。


ちなみにグラウンドはこれからしばらく島本が続く。
鳥飼とはまたしばらくのお別れだ。 名残惜しい方は朝7時からかぶとむしとの合同

練習に参加すべし。

■今週の連載小説『南米旅行記 パタゴニア編その4 パイネ国立公園』

バスは予定通り昼過ぎにプエルトナタレスについた。
バスを降りて市街地に向けて歩き始める。
よく見ればどこかで見た日本人2人が歩いてきた。
あ、ウシュアイアの上野山荘で一緒だったボリビア君と金星さんだ。
「お久しぶりです」
「あ、お疲れ様です」
数日前に別れたばかりなのだが、国境を越えて再会するとやはりびっくりする。
「金星、いけましたか?」
金星さんに聞いてみた。
「私、そんなこと言ってたんだ……」
彼女は何ともバツの悪そうな顔をしていた。
酒というものは本当に恐ろしい。
「バスが満席ばっかりなんで、出発するバスのチケット買っておいた方がいいですよ」
ボリビア君が言った。
「あっちの方に日本人がいっぱいいる宿がありますよ。僕たちもそこに泊まってたんです」
日本人宿はもういいかな。私はそのままチケットを買い2人と別れた。
出発は、3日後。

市街地から少し離れたときによさげな宿を見つけた。
ログハウス風で新しい。宿の主人もいい人そうだった。
たしかにチリ人はアルゼンチン人と少し違う。チリ人のほうが人懐っこい気がする。
アニータに騙されたあの人もそれに騙されたんだろうな、と思った。
パイネ国立公園をめぐるには主に2つの方法がある。
1つはバスで主要な名所を回る方法、これは日帰りで行ける。
そしてもう1つは徒歩でキャンプしながら3泊4日かけて回る方法だ。
あとオプションで日帰りのハイキングルートもあるらしい。
Wルートという3泊4日のルートの一部であるが、そこだけバスではいけない。
キャンプに必要な道具はたいてい宿で貸してくれるらしい。
レンタル料金は正確には覚えていないが、そこそこ高かった気がする。
確か1万円以上したかな?
いまなら私は躊躇なく徒歩を選ぶ。
だが当時の私はバスツアーを選んだ。
まだ私は旅に慣れていなかったのだと思う。
見知らぬ国で3泊もキャンプする勇気がなかった。
私はこのあと40か国以上行った。おそらく、私は自分でも気づかないうちに相当成長できていたんだと思う。
体力と気力は密接に結びついているのだと思う。
潜在的な身体能力が高くても、気力がなければそれを発揮することができない。
そして体力が衰えていき、さらに気力が衰え……という負のループに陥るのだと思う。
もちろんその逆の、正のループもあるだろう。
おそらく私はその後うまく正のループに乗れたのだろう。
だから30歳を過ぎてラクロスを始めることができた。
おそらく、その正のループが負のループに転じたとき、それが老いの始まりなのだと思う。
そこに年齢は関係ない。

私は翌日にバスで日帰りハイキングに行き、翌々日にバスツアーでパイネ国立公園に行くことにした。
これでパイネ国立公園の名所はだいたい見ることができる。
たまたま日本人旅行者と知り合った。
一緒にご飯を食べに行った。
彼は会社を退職し、有給消化でパタゴニアに来た。
飛行機の日にちを間違え、日本の空港で10万円以上追加で払って何とかこれたらしい。
「アルゼンチンてなんであんなに物価高いの?」
「え、闇レートがあるでしょ?」
彼はサンチアゴ経由でパタゴニアに来たためアルゼンチンでの闇両替のことを知らなかった。

バスは翌日朝10時に宿に迎えに来た。
バスは3社3台が同時に出発する。
昨日知り合った日本人も同じバスだった。
公園入口にてまずレクチャーを受けなければいけない。
北海道の知床五湖で似たようなことがあったな。やっぱりチリはまじめだ。
大きいバスは公園入口までしか入れない。
そこから登山口まではシャトルバスがある。
私はシャトルバスに乗り込んだ。
「俺道聞いてくるわ」
彼はいったん車に乗りかけたが車を降り道を聞きに行った。
シャトルバスはそのまま満員になり発車した。

私はトーレス・デル・パイネというところまで行くことにした。
登山口につき山登りを始めた。
最初は周りは森だったが、急な登りが始まるとすぐに森はなくなり、ごつごつとした岩場になった。
白人の若い女性と東洋人のおじいちゃんが写真を撮りあいながら一緒に登っていた。
夫婦にしては年齢が離れすぎているし、友人なのかな?
山の中腹に氷河湖があり、登山道はそこで終わっている。
ここがゴールだ。
ここでバナナとパンを食べながらずっと湖を眺めていた。
帰りのバスがある。そろそろ帰ろう。

登山口までつき、公園入口まで向かっているとバスのりそびれた彼が公園入口の方から歩いてくるのを見た。
「あれ、えらいかかりましたね。僕もう山登ってきちゃいましたよ」
「はは、のんびり歩いてたら時間かかったわ。まあゆっくり行くよ」
えらい時間がかかりすぎな気がするがまあそれもありだ。
パイネ国立公園は逃げない。
彼はこのままWルートを行くらしい。

公園入口でバスを待っていたら先ほどの老人が話しかけてきた。
「君、日本人?」
「あれ、さっきの」
彼は日本人だった。東洋人が1人でいればほぼ間違いなく日本人なのだが。
聞けば昨日日帰りバスツアーでここに来て、今日は日帰りハイキングできたらしい。
やはりだいたいみんな同じようなことを考えるらしい。
一緒にいた女性はたまたまそのバスツアーで一緒だったということらしい。
しかし彼の声はガラガラだった。
「俺の声、気になるでしょ?実は俺、喉頭がんで声帯ほとんど切除してるんだよ」
「え、そうなんですか」
「でさ、俺決めたの。死ぬまでにしたいこと全部しようって。だからパタゴニアに来た。ずっと来たかったから」
私の祖父は2人ともがんで亡くなった。
そして2人とも中小企業の社長だった。
2人とも亡くなる数日前まで仕事をしていた。
どっちの生き方が正解なんだろう?
「イースター島にも行ってみたかったんだ。だからこの後はイースター島に行く。でソチオリンピックがあるでしょ。オリンピック見たいから帰るよ」
そうか、すっかり忘れていた。もうすぐソチリンピックだ。
南米は想像通りサッカーばかりだ。冬季オリンピックがあることすら忘れていた。

バスは3台来るはずだった。
何故なら行きが3台だったからだ。
ところが1台しか来なかった。
バスの発車時刻は19時半。時間はもうとっくに過ぎている。
おそらくもう2台が来るのを待っているのだろう。
老人のバスはもうすでに来ている1台だった。
彼は先にバスに乗り込んだ。
私のバスはもう2台のうちの1台だった。
どれだけたってもバスは来なかった。
当然2台のバスの乗客は外で待ちぼうけを食らっている。
しびれを切らしたい1台のバスの運転手が「乗れ!」というジェスチャーをし、乗客が一斉にバスに乗り込んだ。
だがチリは交通ルールに厳しい。バスの助手席には乗れない。立つこともできない。
だからほんの数人しか乗れない。
運転手が何か言っている。
スペイン語はわからないが、間違いなくわかる。
「座れない人は降りろ」と。
立っている乗客がうんざりした顔をしてぞろぞろ降りていく。
最後の1席を先ほどの老人がとっておいてくれた!
私はバスに乗ることができた。
あのバスに乗れなかったら私は宿に戻ることができなかった。
上野山荘での件と言い、私は本当にラッキーだった。
バスに乗れなかった人たちがどうなったのかは私は知らない。
おそらく公園管理事務所で泊めてもらったのかな?
私はくたくたになりながら宿に戻った。

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