第657号 交流戦の巻

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【大川氏長男がホストになっていた!初日で売り上げ43万円】系クラブチームの左大文字ラクロスクラブは6月27日、洛西浄化センターにて行われた交流戦にて、かぶとむしに1-4で敗北した。
もともと5月15日に予定されていた本交流戦であるが、3回目の緊急事態宣言の発令によりまたまた延期となり6月21日の解除をもって6月28日の開催となった。
3度目となれば自粛する人はほぼなく、繁華街には人があふれている。
ワクチンを求めて殺到する人やワクチンを拒否する人、「オリンピックはやるのに〇〇はなんであかんのや!」と叫ぶ人で日本は阿鼻叫喚状態となっている。

繁華街に人はあふれても公共施設は宣言中は閉鎖しているところが多い。
というわけで宣言中毎度おなじみ淀川河川公園(大阪府営)はまたまた使えなくなった。
一部チームは民間フットサル場を利用することで活動再開に臨んでいた。
当チームも6月1日から重い腰を上げグラウンド確保にいそしんだが、結局6月中に確保できたグラウンドは1回のみだった。
半年間ほとんど練習がなかった。
鈍った感覚を取り戻すのはなかなか難しい。

さてさて紆余曲折の末行われた今回の交流戦であるが、ファンリーグからは毎度おなじみかぶとむしと当チームの2チームのみが参加することとなった。
そして組まれた試合は第1試合vsかぶとむし、第2試合vsかぶとむしというスパイスのきいた試合予定が発表された。
そして試合の数日前「第2試合のvsかぶとむし戦はやっぱりなしで第1試合のvsかぶとむし戦のみでよろしく」とラクロス協会が発表。
結局ただハーフ試合を1回するだけとなった。

試合前、今年度かぶとむしから移籍してきた宇田氏により詳細なレクチャーがなされた。
なんでも昨年度WILD BOARSのリーグ戦不参加に続き、今年はLOHASがかぶとむしに一時吸収されるという形でリーグ戦に臨むという。
「〇〇番は××が得意」等と非常に有益な情報が得られた。
「これいけるんちゃう?」と希望を持って試合に挑んだものの結局試合は1-4で負け、リーグ戦に向け惜しい黒星スタートとなった。

出場選手(順不同)
坂井、松本、中村、岩田、舟橋、山本、野尻、田村、志水、宮田、齋藤、大槻、田畑、宇田、三木

得点選手
宮田

結果
1-4 負け

■今週のコラム『自粛期間中山に登りまくっていたら、人生という山で遭難していることに気づいた件』

自粛期間中、皆さんはどのように過ごしただろうか?
私は2回目の宣言中、歩き始めた。
最初は地元のウォーキングコースを地図をもってひたすら毎週歩きだした。
地元の古墳をぐるっと回って4時間ほど。
その次は日本最古の道と呼ばれる山の辺の道を歩いた。
その次ははるか昔飛鳥時代には斑鳩に住んでいた聖徳太子が、飛鳥まで行くのに使っていた道を歩いた。
聖徳太子は実在しなかった説があるのだが、この道の存在こそが聖徳太子の存在を裏付ける最大の証拠なのだという。
飛鳥まで約30km、8時間ほどかかったが道はほぼ平坦なのでわりかし余裕だった。
人間というものは慣れてしまう生き物で、ただ平たんな道をずっと歩いているとアップダウンがほしくなる。
私は山に登り始めた。
昔はよく山に登っていた。
ところが交通事故にあった。
盛大に骨折してしまいしばらく山に行かなくなっていた。
山で足が痛くなってしまえばそれこそが遭難そのものだからだ。

最初はハイキングコースから始めた。
矢田丘陵や生駒山に登った。
3回目の宣言が出てから気候も良くなり本格的に高度が上がり始めた。
六甲山、愛宕山、三峰山などに登った。
その中でも私がいいなと思ったのは滋賀の山だ。
奈良からであれば名阪国道を走れば滋賀の南東部には容易にアクセスできる。
武奈ヶ岳や、霊仙山、御在所岳に登った。
山は本当に良い。
俗世間のわずらわしさを忘れさせてくれる。
私は昔付き合っていた恋人に「素のあなたが無理」と言われてふられたことがある。
山はそんなことを言わない。
ただ、そこにある。
時にやさしく、そして時に厳しい。
何いっとんねんこいつと思う人も多いかもしれない。
ただ似たようなことが原因で山にはまる人は多いらしい。

ここで私は山の魅力だけを語って終わらせるつもりはない。
山で恐ろしいのは遭難だ。
人間社会での煩悩を洗い流してくれる山で、時に人は生死をさまよう。
ある者は生還し、ある者は文字通り帰らぬ人となる。
遭難には必ず原因がある。
梅里雪山遭難事件のように山岳会の選抜メンバーが準備万端で臨んだものの遭難してしまったこともあれば、エベレスト大量遭難事件のようにプロのサポートを受けたパーティが遭難してしまうこともある。
夏山で凍死したトムラウシの事件などもある。
登山者が死亡すればそれはただのニュースなのだが、生存すると事の一部始終が知れ渡る。
この中で一つ異色を放つ 遭難事件を紹介したい。

Y氏はパーキンソン病を患っていた。
だが彼は山に出会う。
彼は滋賀県・鈴鹿山脈の山々に魅せられよく登るようになった。
2012年7月16日、三連休の最終日、Y氏は御池岳に登ることにした。
「ノタノ坂、土倉岳、T字尾根、山は登らずに帰ります。帰りは17:00頃」
というメモを自宅に置き出発した。
だが彼の妻は「山に登らないのだったら、このメモは必要がない」としてそのメモを捨てた。
途中林道が崩壊しており、登山口についた時には10時半だった。
今から山に登るには遅いと思った。
だが駐車場から登山者が一人登り始めるのを見て安心し、自分も登り始めた。

山頂付近の天候は濃霧だった。
御池岳の南にある土倉岳山頂に13時ごろ登頂し、T字尾根を伝って下山を始めた。
道をまっすぐ行けば無事下山というところで先ほど駐車場で見た登山者が逆方向からやってきた。
彼(以下R氏)は「道に迷った」という。
見かけは明らかにベテラン、「旺文社のコースは制覇した」等と言っておりY氏は彼との雑談に夢中になってしまう。
そして二人そろって道に迷ってしまう。
R氏と一緒にいたときY氏は地図やコンパスを全く確認しなかったらしい。
「沢に下りよう」というR氏の提案で2人は沢に下りようとした。
遭難したときは沢に下りるのは禁物である。
濡れた岩場を登るのは容易だが下るのは非常に危険が伴い、そして滝があればそれ以上先に行けなくなってしまう。
Y氏は沢まであと少しのところで滑落した。
R氏は特にそれに声をかけることもなく先を行った。(声をかけたという資料もあり)
戻ってきたR氏は「先は滝だった。戻ろう」と言って尾根に戻ることにした。
その後2人は尾根に出ることで御池岳山頂直下のボタンブチまでたどり着き、そこでビバークをすることにした。
R氏はロープを持参しそれにつかまるなどしたらしい。
R氏の声が聞こえ、R氏がヘッドライトをチカチカさせるとY氏はバーナーを点火させ合図を送ったらしい。

正規のルートには復帰できたので、朝になるのを待って下山することになった。
そして仕事があることを思い出したY氏はR氏の携帯電話を借り自宅に電話した。
留守電につながったので「危機的な状況は脱したのでこれから下山します」とメッセージを入れた。
R氏は来た道を戻ることを主張した。
これに対しY氏は昨日道に迷ったT字尾根を再び通ることを主張した。
R氏はこれに対して「昨日たいへんなことをしてしまった」という罪悪感からか反対することはなかったという。
下山中Y氏は幻覚を見るようになる。
いもしない他の登山客に話しかけ、ありもしないテープを指さしていたという。
それをR氏はただ黙ってみていたという。
幻覚だった登山者が消えると「道を聞こうと思っていたのに!」と悔しがっていたらしい。
その後、Y氏は尾根を下っていったがR氏は尾根を下ることはなく、R氏ははるか上の尾根を歩いているのが見えた。
そしてR氏はそれ以降姿を消した。

これからY氏の本格的な遭難が始まる。
詳細は省くが、幻覚はさらにひどくなり夜なのに救助隊員の声が聞こえたり、水量計の係員や会社の同僚までもが目の前に現れたらしい。
だが7月22日、Y氏は奇跡的に救出される。

その後Y氏はR氏のブログを発見した。
「なぜ置いていったのか、なぜ救助要請しなかったのか」という抗議のメールを送った。
返事はなく、その後R氏はブログを閉鎖したらしい。
Y氏は事の顛末を山と渓谷社が運営するSNS『ヤマレコ』に投稿。
「遭難中真っ暗闇の中でも恐怖を感じることがありませんでした。でもR氏のHPの閉鎖を知って得体の知れないものすごい恐怖を感じました。やはり世の中で一番怖いのは「人間」です」
と締めくくっている。
その後Y氏はプチ遭難を何回も繰り返し、御在所岳で帰らぬ人となった。

この事件に関してネットでは数々の議論が繰り広げられ、Y氏は『伝説の遭難者』とまで呼ばれるようになった。
とくに議論の対象になるのがR氏である。
R氏と一緒にいる時からY氏は数々の幻覚を見ていた。
そもそもR氏は実在したのか?
いくらベテランでも日帰り登山でロープを持っていく人はそれほど多くはない。
それほどのベテランであったR氏がいとも簡単に道に迷いそして一緒に迷うのだろうか?
ベテランなのに初歩の初歩である「遭難したときは沢に下りてはいけない」というルールを守れず安易に沢に下りようとしたのは何故か?
1日目ビバークしたときのライトとバーナーでのやり取りに何の意味があったのだろうか?
2日目登ってきた道ではなく、再びT字尾根で下山することにY氏が固執したのは何故か?
Y氏が救助されたときR氏は遭難せずに下山したものと決めつけていたのは何故か?
最初のメモに「山に登らずに帰ります」と書いたのがそもそもの大きなトラブルだったと思う。
でも、そのメモすら本当に書いたものなのだろうか?
そして、御池岳山頂では当時携帯電話はつながらなかったらしい。
私はR氏の存在そのものが幻覚だったと思う。
でないとR氏の行動の不自然さが際立って仕方がない。
最初に登山口で見たことだけが本当だったのかもしれない。

時代は変わる。
電波の届かない山の中でも、あらかじめスマホに地図をダウンロードしておけば高性能なGPSとして利用できる。
地図を広げている登山者はもう全く見なくなった。
近年道迷いによる遭難はスマホのおかげで劇的に減少しているという。
スマホは本当にすごい。電波の届かない山の中での登山という行為にすら革命を起こしている。
ヤマレコには登山用の地図アプリ機能がある。
(というよりは地図アプリそのものなのだが、SNS機能もあるので『地図アプリ機能がある』という表現をあえて使わせてもらう)
Y氏はGPSのログを取っていたのだ。
にもかかわらず遭難していたのだ!

そして私は今気づいた。
私自身が人生という山の中で盛大に遭難していることを。
山で遭難すれば遅かれ早かれ遭難したと気づくが、人生で遭難してしまえば遭難したと気づくのもままならない。
人生という山には登山口や山頂すらないのかもしれない。
私はそももそもいったいどこを何に向かって歩いているのだろう?
私がいるのは尾根なのだろうか?
そもそも沢なのだろうか?
はてまたは崖の下なのだろうか?
考えたら眠くなってきた。
だれか人生で遭難してる人一緒に山登ってくれんかなあ?

参考URL 伝説の遭難者yucon氏の体験について(1)
このブログではR氏は実在したと考えている。
https://hagarie.naturum.ne.jp/e3087346.html

おまけ 私が使ってる地図アプリ Geographica(無料で使えるよ。マジ便利)
https://geographica.biz/

奈良県のウォーキングポータルサイト 歩く・なら(最初のウォーキングはここの地図を参考に歩いた。地図はわかりやすいのだが少し古い。山の辺の道はマジでおすすめ)
https://www3.pref.nara.jp/miryoku/aruku/

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