第658号 梅雨も本気出してきましたの巻

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【Amazonのジェフ・ベゾスは地球に還ってこないで…署名が14万筆を突破】系クラブチームの左大文字ラクロスクラブは7月4日、淀川河川公園島本グラウンドにて定期練習を行った。
緊急事態宣言も明けグラウンドもいつも通り使えるようになった。
淀川河川公園はやはり素晴らしい。
何がって、申し込みの楽さがである。
筆者の住んでいるのは奈良県斑鳩町という歴史だけは日本トップクラスにある町なのだが、おかげで平成の大合併を見事に無事スルーした。
それはいいのだが、ということは各々の自治体を走り回ってグラウンド確保に努めなければならない。
わざわざ日曜朝から並んで申し込み……という旧ソ連の配給のような行事をこなさなければならない。
淀川はそんなことをしなくてもよい。ネットでぽちっとすれば抽選予約できる。
淀川最高。

さてさて宣言が解除されてからまたコロナウイルスの新規感染者は増加傾向となっている。
ワクチン接種が進んでいるイギリスでも再びロックダウンに入るなど、状況がさっぱり見通しが通せないでいる。
また梅雨もまだ明けてはいない。
小雨ぱらつく中集まったメンバーは13名。
「ワクチンがどーたら」というそこかしこで聞き飽きた世間話に花を咲かせた。
どうやら去年今年とラクロスし足りないメンバーは今頃になって『雨に唄えば』のジーン・ケリーばりにやる気満々で練習に臨んでいる。

いつしか雨は上がり、人数ぎりぎりで楽しく6on6をこなした。
湿度は高いもののメンバーは汗だくになりながらも練習を楽しんだという。
「そのディフェンス練習1回生でやらんかったん?え、知らんの?彼女作るよりまずラクロスの勉強せーよ」とロング陣からいじられまくっていたメンバーがいたそうだ。

 
■今週の連載小説『南米旅行記 パタゴニア編その5 ペリト・モレノ氷河』

翌日はバスツアーでまたパイネ国立公園に行く。
バスは時間通りに宿に迎えに来た。
バスに乗ってしまえば、もう昨日のようなことはない。
事故さえない限り宿には戻れる。

バスには大勢のチリ人観光客と、韓国人観光客が数名、そして私がいた。
前年、すなわち2013年にトルコへ旅行へ行った。
東洋人はほとんど韓国人で、日本人はあまり見かけなかった。
イスタンブールには韓国人宿はあっても、日本人宿はもうなかった。
私は韓国人宿に泊まった。
朝食の時辛ラーメンを配っていた。
「辛ラーメンもらえるよ。並びなよ」
話していた韓国人のおっちゃんが言った。
列に並び私の番が来た。
「お前は日本人か?」
宿の人が言った。
「そうだ」
「辛ラーメンは韓国人にだけ配っている」といわれた。
おっちゃんが申し訳なさそうに辛ラーメンを分けてくれた。
日本の人口は1億2000万、たいして韓国の人口は4000万。
単純計算で日本人は韓国人の3倍多く見かけてもいいはずなのに、韓国人のほうがよく見かける。
たまにJTBやHISとでかでかと書かれたバスが観光地に停まっているだけだった。
そこに乗っているのはほとんどが老後生活を謳歌している方たちだった。
日本人は本当に海外に行かなくなった。
東洋人観光客=日本人という図式はもうこのころすでに崩壊していたのだと思う。
ただし中国人観光客はまだ全く見なかった。
日本にインバウンドの波が押し寄せるのはまだこれから先の話だ。

バスでは東洋人グループだけ後ろに集められた。
そしてバスガイドの近くに座った。
バスガイドはまずスペイン語でガイドをした。
そして彼女の近くに集められた東洋人に向かって、つたない英語で一生懸命説明してくれた。
かわいらしい女性だった。
再び公園管理事務所についた。
他の乗客は管理事務所でレクチャーを受けに行った。私はもう昨日受けたので受ける必要はない。
昨日は一日中快晴だった。だが今日は雲行きが怪しい。
天候は恐ろしいほど目まぐるしく変わった。
嵐が吹き荒れたかと思えば、十分後には快晴になった。
それを何回も繰り返していた。
日本では考えられない。でも、これが地球なんだ。
一度行ったところが曇っていた。でもまた晴れたとなればそこにもう一回行ってくれた。
そのスケジュールに対する柔軟さがうらやましかった。日本のバスツアーではこんなことはない。
もちろん最初から同じところへ2回行くことを前提にツアーを組んでいるのだろうが。
バスはペオエ湖、グレイ湖、サルト・グランデなどと言ったパイネ国立公園の名所を巡る。
国立公園内にはいくらかホテルがあり、そこで昼食をとることができる。
ペオエ湖にはペオエ・ホテルというホテルがある。
そこで休憩をとることになった。
ここには2回行った。1回目は天気が悪かったのだが、ここは眺めがとても良いので晴れた後にもう1回行ってくれたのだ。
ホテルのレストランにあるメニューを見てみた。
パスタ1皿、15,000ペソ。日本円で3,000円。
宿泊料は推して知るべし。
えらくなったら、また来ようと思った。

グレイ湖には氷山が浮かんでいるという。
行ってみれば氷山というよりも小さい、おそらく乗用車ぐらいの大きさの氷山が遠目に見えるだけだった。
正直、あまり迫力はなかった。
だが氷山は9割が水の下に隠れているという。
タイタニックもそれに油断して沈む羽目になった。
「数日前にはもっと近くに大きい氷山が来てたんですけどね」
ガイドが申し訳なさそうに言った。

最期にバスは高台に停まり、乗客はバスを降りパイネ・グランデを撮影した。
風が強くなってきた。
幾度も述べているが、パタゴニアは風が強い。
だが今回は尋常ではなく強かった。
なんと私の体が地面から浮いた。
人生で初めての経験だった。

バスは夕方問題なくプエルト・ナタレスについた。
パタゴニアの宿にはほぼ間違いなくキッチンがついている。
もうずっと、夜ご飯は自炊で食べていた。
おそらく学生集団だろうか、ドミトリーに大勢で宿泊していた。
その部屋は20人は宿泊できたかと思う。
彼らはずっと部屋の電気をつけたまま騒いでいた。夜中の1時、2時……眠れなかった。
せっかく雰囲気のいい宿だったのに。
宿のロビーまで行き休むことにした。
おそらく警報装置が鳴ったのだろう、宿の主人が出てきた。
「いったいどうしたんだ」
「同じ部屋の連中が大騒ぎしていて眠れない」
主人は申し訳なさそうな顔をしていた。
チリ人は日本人と似ているといわれる。
確かにその申し訳なさそうな顔は日本人に通じるところがあった。
アルゼンチン人は、おそらくそんな表情をしない。
「もう、電気を消してしまえ」
部屋に入り、私は彼らに言った「電気、消すで」
電気が消えた部屋は嘘のように静まり返った。私はそのまま睡眠の淵へ落ちていった。

次の目的地はアルゼンチンのエル・カラファテだ。
パタゴニアを代表する絶景、ペリト・モレノ氷河へ行くための基地となる町だ。
パイネ国立公園より北側、チリには数百キロ道路はない。
巨大なフィヨルドと氷河に阻まれて道路を建設することができないのだ。
このフィヨルド地帯を迂回するために、ありとあらゆる陸上交通はアルゼンチンを経由する。
ウシュアイアでは逆にチリ領のマゼラン海峡を通過しなければならない。
自国の領土に行くために他国を通過しなければならないというのは、日本人にとっては屈辱的に感じる人も多いと思う。
だがここではだれもそれを気にしている人はいないようだった。
プンタアレ―ナス以降、全ての町で宿はすぐ見つかった。
ウシュアイアの件が嘘のように。
ウシュアイアは飛び地にあり、そしてそこまで行ってしまえばもう先がない。
そこで宿にあぶれてしまえばほかの町に宿を求めることができないからだと思う。

基本的にどこも国立公園と町は離れている。
明確なデスティネーションがある場合バスツアーで行くのが最も手っ取り早い。
というかそもそも公共交通機関がない。
宿をとってからバスツアーを申し込みに行った。
国立公園の入場料は130ペソ。1,300円ほど。
バスツアーで行けば入場料込みで300ペソ、約3,000円。
だがもう1つツアーがあるらしい。
上記に加えて氷河を歩けるツアーがあるらしい。
それは800ペソ、約8,000円。
もちろんこれにした。
そのツアーは安全上の理由から60歳以上は申し込めないらしい。
定年退職してからここに来たのではもう遅い。
雨合羽を買って来いと言われたので買いに行った。
100円均一にすら売ってないような、スーパーのビニール袋をそのまま張り合わせたようなペラペラの雨合羽が1,000円もした。

翌朝バスはロス・グラシアレス国立公園へと向かった。
公園に入り一目散に氷河へ向かった。
そこにはガイドブックの写真通りの氷河があった。
ああ、この景色が見たかった。
パタゴニアの氷河は成長がとても速い。
とてつもなく強い偏西風がアンデスに大量の雪を降らせ、すさまじい速さで氷河を成長させる。
地球温暖化が叫ばれる中、パタゴニアの氷河は今でも成長を続けている。
パタゴニアの夏は氷河にとってはとても暑い。
十数度にもなる気温で氷河の先端は崩落していく。
ちなみによく地球温暖化を取り扱うドキュメンタリーなどでは、意図的にこのペリト・モレノ氷河が崩落しているシーンを使っている。
これは地球温暖化のためではなく、ただこの氷河の成長がすさまじく速いがために崩落しているだけなのだ。
氷河を対岸の展望台から見ていると、ひっきりなしに氷河に亀裂が入り、そして崩落していく音が聞こえる。
「ピキッ」という音がひっきりなしに聞こえる。
「ゴゴゴゴゴ」という音とともに氷河が崩落していく。
でも氷河が大きすぎて、それがどこで起きているのかさっぱりわからない。

ここから船に乗り対岸へ渡る。そして氷河の上を歩く。
アイゼンなんてつけるのは何年ぶりだろう。
私が一歩一歩歩みを進めるたびに、アイゼンの爪に氷河が食い込んでいく。
私は氷河の上を歩いている。
氷河にいくつもの亀裂があり、そこに水たまりができていた。
信じられないほど青く、それは深く黒く沈み込んでいた。
最後にガイドが氷河を砕きウイスキ―・オン・ザ・ロックを作ってくれた。
もちろんアルコールが飲めない人のためのソフトドリンクもあった。
私は格好をつけようと好きでもないのにウイスキーを頼んだ。
ウイスキーにはインドで苦い思い出がある。
氷河で作ったウイスキ―・オン・ザ・ロックは、ただのよく冷えた酒だった。
きっと、ウイスキーのおいしさがわからないまま私は死んでいくのだろう。

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