第662号 リーグ戦第2戦目の巻

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【福島の子供たちが提供したアサガオ、会場から遠く離された場所に放置され枯れる】系クラブチームの左大文字ラクロスクラブは8月1日、王子公園スタジアムにて行われたOLC戦にて2-4で敗北した。
今年のファンリーグは出場チームが少なく、チャンピオンリーグや女子チームの試合と同じ日に同じ会場で行われている。
少なくも王子公園スタジアムは私の知る限り初めてのグラウンドだ。
まずチーム入りが試合当日という、獨協大学卒佐々木氏による挨拶が行われた。
なぜかそこはやたらと天井が低く、立っているものは腰をかがめなければいけないほどであった。
佐々木氏は去年まで関東のファンリーグでプレイしており、ラクロス熱が冷めないうちにと当チームへの入部を決意したらしい。
となりではACL vs ELKS戦が行われており、隣でアップをしようと試みたが、「スパイク履いて陸上競技用トラックではできんやろ」との意見が出され、試合終了を待って急いでアップをすることになった。

猛烈な暑さの中、試合開始はまたまた一番暑い時間の昼12時半。
暑さもあってかお互い点が入らず、第1Qは0-0で終わる。
アメフトの聖地でもあるこの王子公園スタジアムは、アメフト用のラインが多数引かれ、どこがセンタラインかわからず自他ともにオフサイドが多発した。
第2Qもお互いの守備は固く、このまま終わるかと思いきや宇田氏が先制、だがすぐOLCに追いつかれ1-1で第2Qを終えた。
おりからの暑さにより松本氏はばてて早々に戦線を離脱。
「フライの管理するわ」と宣言したがその後ろ格好に「首の上に肉がついている」と謎のいじりが入った。
続いてOLCの反攻が始まり、第3Qは1-3で終える。
続く第4Q、期待の新人宮成氏が1点獲得、2-3と肉薄したが最後に1点を取られ2-4で試合終了となった。

出場選手(順不同)

坂井、松本、中村、宇田、大槻、三木、岩田、山本、舟橋、田中、宮田、田村、伴仲、志水、近谷、野尻、佐々木、斎藤、梅田、田畑、宮成

得点者

宇田 1点 宮成 1点

結果

2-4 負け●

■また緊急事態発令!でもリーグ戦も練習もやるらしい。

すでに出されていた東京都と沖縄県に続き、8月2日から埼玉県、神奈川県、千葉県、大阪府に4度目の緊急事態宣言が出されることになった。
オリンピック開始とともにコロナウイルスの新規感染者はうなぎ上りに。
大阪府もいきなり追加されることが決定したのは7月30日のことだ。
だが今回の緊急事態宣言はこれまでとは一味違う。
「あー練習もリーグ戦もまた中止かー」と思いきや、今度は毎度おなじみ淀川河川公園は休業しないらしい。
どうやらリーグ戦も予定通りやる感じらしい。
どうやら今回は公共施設が休業することもないらしい。
町を出歩く人の数は特に減ることもなく、去年の自粛騒ぎはいったい何だったんだろうかと思わずにはいられない。
ワクチン接種に先行していたイスラエルでワクチンの有効性が低下が報告され、3度目の摂取が始まることになった。
これからの情勢もさっぱり見通しがつかないでいる。

■今週の連載小説『南米旅行記 パタゴニア編その7 氷河じゃない方のペリト・モレノ』

エル・チャルテンを北上すればバリローチェという町に出る。
アルゼンチン側のパタゴニアはそこから南側ということになっている。
パタゴニアの始まりであり、パタゴニアの終わりでもある。
その途中にペリト・モレノという小さな町がある(ペリト・モレノ氷河とややこしい)。
近くにはクエバ・デ・ラス・マノス、日本語で手の洞窟という場所がある。
そこには先住民が顔料を手形に吹き付け描いた手形が無数に残されているという。
エル・チャルテンからバリローチェまではバスで30時間かかる。
ペリト・モレノはその中間地点にあるので、行程を分割できちょうどよかった。
途中下車して洞窟を見に行くことにした。
エル・チャルテンを朝9時に出発したバスは23時ごろにペリト・モレノに到着した。

明日は洞窟を見に行くとして、町には見るところはなさそうなので翌々日バリローチェ行きのチケットを買えばいい。
チケット売り場に行けばチケットは売り切れだった。
3日後のチケットはあったのでそれを買うことにした。
何もない町で丸一日だらだらする羽目になってしまった。
これが途中下車の宿命である。
エル・チャルテンでペリト・モレノまでとペリト・モレノからバリローチェまでのチケット二枚を一気に買えばよかったと気づいたのは今である。

いくらパタゴニアの夜は遅いといっても、23時を過ぎれば店はほとんど開いていない。
だがここの観光案内所は24時まで開いていた。
暗い町中に案内所の明かりだけが浮かび上がっていた。。
地球の歩き方には宿の情報は全く載っていなかった。
案内所で安宿を一軒紹介してもらい、そこに泊まることができた。
小さい町のほうが、宿探しには苦労しなくて済む。
全て徒歩で完結するからだ。
チェックイン時に明日洞窟に行きたい旨を伝えた。
明日昼すぎにタクシーが迎えに来てくれるという。
白人の女主人(2人いた。おそらくは姉妹か?)は明日用事があって出かけているのが、オートロックだからそのまま出ていっていいと言われた。
なかなかおおざっぱだ。

翌日迎えに来たのはタクシーだった。
先客が1人いた。日本人女性だった。
その後白人カップルをピックアップし4人で洞窟へ向かうことになった。
カップルは男性がスペイン人で女性がギリシャ人だった。
運転手はスペイン語しか話せず、ギリシャ人女性がスペイン語を英語に翻訳してくれた。
町から洞窟までは120キロほどある。
パタゴニアにいれば、いちいち距離の感覚が麻痺する。

日本人女性はカナダでワーキングホリデーをしていたという。
そして期間が終わり、南米に寄ってから日本に帰るのだという。
カナダでは日本料理屋で働いていたという。
ワーキングホリデーで外国に行っても、日本料理店で働いているという話はよく聞く。
やはり私たちは日本人であるという呪縛からは逃れられない。

洞窟は写真で見たとおりだった。
当たり前と言えば当たり前なのだが、古代人と現代人ではそれほど手の大きさが変わるものではない。
ということは写真を見てしまえば実物のスケール感が想像できてしまうということだ。
実物は想像以上にすごかった!ということがなかなか起こりにくい。
これは建物でも同じことが言える。
どんな大きさの建物でも1階の高さはそう変わるものではない。
ということはそこから建物のスケール感が想像できてしまうということだ。
私はフランスのモンサンミッシェルに行ったときこう思った。
「あれ、ちっちゃくね?」
よくよく見てみればモンサンミッシェルにある建物の階数からそのスケールを想像することができたのだ。
人間の作り出したものは人間の想像を超えることはできないのかもしれない。
それにしても写真というものはすごい。

宿に戻るとき向かいの家にいるおじいちゃんに呼びかけられた。
そこはキャンプ場をやっているという。
もうすでに宿代は払っているので断った。
だがペリトモレノ滞在中に検索して分かったのだが、ここのキャンプ場はなかなか面白そうなところだった。
http://b9s73f8p.blog.fc2.com/blog-entry-285.html
とにかく食べ物がひっきりなしに出てくるらしい。
お金がなかった。
観光しに来ているので、交通費や入場料を削るわけにはいかず、削るとなれば食費しかなかった。
ひもじかった。
ずっとバナナやパンばかり買って食べていた。
肌は次第に吹き出物だらけになった。
誰もがひもじさには勝てない。
外食すれば軽く100ペソ(1,000円)は飛ぶ。
宿泊費の20ペソだけでご飯が出てくるというのは破格だ。
翻訳サイトで文章を打ちおじいちゃんい見せに行った。
「お金払うので食べ物くれませんか」
あっけなく断られた。
上記のブログに書いてあるコメントが今でもひっかかっている。
「宿の主の顔が見えない宿より、顔が見える宿がいい。世界中を旅してもこんな宿は少ない。」
宿代を二重に払ってもここに行けばよかったなと今でも思う。

パイネ国立公園で途切れたチリ側の道路はペリト・モレノの西側あたりからまた復活する。
そこからチリ側をずっと北上することができる。
このルートをアウストラル街道という。
正確にはもう少し南側まで道路はあるのだが、行き止まりになっていてアルゼンチン側からはアクセスできない。
ペリト・モレノから西にまっすぐ行けばマーブル・カテドラルという大理石でできた青い洞窟がある。
そこを通ってアウストラル街道にアクセスできる。
だがチリ側のパタゴニアはフィヨルド地帯なので、バスとフェリーを乗り継ぐことになる。
しかもバスも通しで行くものはなく、また接続も悪い。
ある村まで行き、次のバスまで数日、また次の村まで行きそこで数日待ちということを何度も繰り返すらしい。
あまりにも公共交通機関の使い勝手が悪いので、結構な旅人がヒッチハイクをするらしい。
チリ側でのパタゴニアの起点はプエルトモンという町なのだが、そこまで1,000キロメートル程度なのに2週間はかかるとのことだ。
私は自転車で北海道の小樽から大阪まで走ったことがある。
1500キロメートルで16日かかった。
自転車のペースよりも遅い。
だがその分絶景の連続らしい。
だがもう時間がない。あきらめざるを得なかった。
一緒に手の洞窟まで行った日本人の女の子はこのルートで北上するらしい。
いつか、またパタゴニアに行きたい。

朝起きれば隣のベッドに人がいた。
また日本人だった。
彼はこのまま南極に向かうという。
南極のツアーは日本で手配したらしい。
値段は確か160万円と言っていた。
確かにウシュアイアでの値段は破格だと知った。
世界はまだまだ広い。

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