第664号 リーグ戦第3戦の巻

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【小泉進次郎「リモートワークのおかげでリモートワークできたのはリモートワークのおかげなわけです」】系クラブチームの左大文字ラクロスクラブは8月28日、舞洲運動広場にて開催されたリーグ戦第3戦、vsかぶとむし戦にて4-4で引き分けた。
各地方のリーグ戦が続々延期になる中、関西の社会人リーグ戦は今のところ延期にはなっていない。
だが今年のファンリーグは当チーム、かぶとむし、OLCの3チームしか参加していない。
そのため試合数を確保するため同じチームと2回ずつ対戦することとなった。

さてさて梅雨のような天気が数週間続いたのと裏腹に当日の天候は快晴。
いつもの暑さが戻ってきた。
オリンピックが終わってからまだ3週間しかたっていないのにすでに世間は「そんなんもあったなぁ」という感じになっている。
そして現在開催中のパラリンピックはNHKが放送するのみで、特に誰も話題にしていなかった。

試合開始はまたまた一番暑い時間の11時30分だ。
まず土壇場で試合に来れなくなったけどやっぱり来れた宇田氏が1点獲得、続いて田畑氏がさらに1点を追加し2-0で1Qを終えた。
続く2Qでは宮成氏が1点獲得、だが2点を奪われ3-2となった。
3Qで梅田氏も1点を獲得、4-2で迎えた4Q、だいたいいつものパターンではこのへんで逆転されるのがお決まりだった。
だが今回は違った。
メンバーはここ数年見たことないレベルでテンションが高くなり、ベンチからはいつもよりも大きい声が出ていた。
同点に追いつかれるも4-4で引き分けとなった。

出場選手(順不同)

中村、松本、田中、山本、舟橋、宮田、田村、岩田、三木、志水、大槻、梅田、森田、小林、齋藤、野尻、田畑、宇田、宮成

得点選手

宇田、田畑、宮成、梅田 1点

結果
4-4 引き分け△

■松本氏、ブラジルに向けてシュートを打つ

ここのところ久しく得点を決めていない松本氏が、今回の試合でゴールではなくブラジルにシュートを打ったともっぱらの当チームの話題になっている。
久しぶりにどフリーからのシュートのチャンス!と思いクロスを振りかぶった。
ところがボールは正面のゴールではなくなぜか真下に放出され、そのまま真上に舞い上がっていった。
ベンチからは「松本さんブラジルにシュートを打っってるやんけ!」とネタにされまくっていた。

 

■今週の連載小説『南米旅行記 パタゴニア編その8 バリローチェ&プエルトモン』

ペリトモレノを朝出発したバスは夕方バリローチェについた。
国道40号線の景色は圧巻だった。
アルゼンチン人観光客がひっきりなしに写真を撮っていた。
バリローチェが近づくとこれまで延々続いていた荒野が豊かな森林に変わった。
ここから北は偏西風ではなく南東貿易風に変わる。
すなわちアンデス山脈を挟んでアルゼンチン側とチリ側の植生が逆転する。
ここから南側がチリ側に湿った風が吹くためアルゼンチンは乾いた大地となる。
ここから北側はアルゼンチン側に湿った風が吹くため、チリ側が乾いた大地となる。
パタゴニアの始まり、私にとってはパタゴニアの終わりだ。
正式名称がサン・カルロス・デ・バリローチェというこの町はスイス人移民が築いた街だ。
豊かな氷河湖に囲まれ、スキー場もあるこの町は『南米のスイス』と呼ばれている。
宿をとってから町中を散策した。
ここは今までに見たパタゴニアのどの町よりも都会だった。
土産物屋が街にあふれていた。
謎の仏具を売っている店すらあった。
そこにはなぜか毎日香が売られていた。

翌日バスに乗ってカンパナリオの丘というところに行くことにした。
ロープウェイに乗って丘についた。
何もしんどいことがなかった。
緑豊かな森の中に、複雑に入り組んだ氷河湖が見えた。
これまでの荒涼とした景色とは違った。
豊かな緑に美しい湖、山頂まで楽々と行けるロープウェイ。
景色は確かにきれいだった。
だがどこか味気なかった。
丸一日山をほっつき歩いていたパタゴニアの旅はもうそこにはなかった。
もうパタゴニアの旅は終わっていた。
いまになってから思うが、きっとここはパタゴニアで最初に来るべき町なんだろうな。

ここからいったんチリに抜け、サンチアゴから東に行きブエノスアイレスに戻ることにした。
実質的にアルゼンチンではラスト2都市ということになる。
もうここまで来てお金をけちる必要はなかった。
これまでの町にはなかった中華料理屋があった。
食べ放題で100ペソ(約1000円)だった。
ここに行くことにした。
ひもじい私にとっては救世主だった。
おなかがいっぱいになる感覚、これは何週間ぶりだろう?
中国人の店員が呆れた目で私を見ていた。

チリに抜けるには、氷河湖をクルーズした後バスを乗り継いでプエルトモンに抜けるといい、と旅行会社の社長は言っていた。
そのツアーのお値段は280ドルと結構した。
バスは氷河湖の湖畔を走る道路を通る。
バスで行けば20ドルほどで行ける。
バスでプエルトモンに抜けることにした。

朝7時すぎにバスは町の中心部から出発するという。
中心部にはスイス風の教会があり、迷うことはない。
バスを待っている間、ボンネットがないぼろぼろのセダンが爆音を立てて目の前を走っていった。
そのセダンは数分後また目の前を走り抜けていった。
数分後、またやってきた。
その車は町の中心部をただ無意味に周回しているようだった。
それは旧ソ連製のLADAだった。
アルゼンチンでライセンス生産されていたようで、この国ではよく見ていた。
タイミングベルトむき出しのまま、本当に今にも壊れそうな音を立てていた。

道路は湖のすぐ横を走っているにもかかわらず、湖の景色は全く見えなかった。
だが天気はずっと曇りだった。
280ドル払わなくてよかったな、と思った。
夕方17時ごろバスはチリのプエルトモンについた。
山道を走るため距離に比べて思いのほか時間がかかった。
ただ人工的に国境線が引かれたパタゴニア南部とはもう違う。
舗装されていない道を時速100キロでバスが走るパタゴニアはもうそこにはなかった。
前に座っているイスラエル人の旅行者が話をしていた。
「スペイン語って簡単だよね」

プエルトモンについても天気はどんよりとした曇りだった。
市街地を歩き始めて一番最初に目についた宿に泊まった。
人のよさそうなおじいさんがやっている宿だった。
部屋はシングル個室で10,000ペソ(約2,000円)だった。
だいたい、どこに行けば宿があるのかわかり始めていた。
もう今になってしまえばその嗅覚は完全に失われてしまったように思う。
スマホが一台あれば、宿探しの労力は不要だ。
それはそれで何かさみしい気がする。

翌日プエルトモン近くのチロエ島に行くことにした。
ここには多くの木造教会群があり、いい感じなのだという。
再びバスターミナルに戻りツアーを申し込んだ。
プエルトモンは港町だ。
ここでは魚介類をふんだんに使ったクラントという貝料理が有名だそうだ。
市場がありそこにレストランがたくさんあるそうなので、そこで夕食をとることにした。
クラントの値段はどこで見ても6,000ペソだった。
適当なところで食べた。

翌日チロエ島に行った。
木造教会、港、市場とどこか懐かしい感じがした。
バスガイドは全く英語が喋れなかった。
市場にはお土産にたくさんの手作り人形が売られていた。
この光景、そう、今思い出したが東南アジアの町に似ている。
この雑多な感じを懐かしいと思ったのだ。

同じバスにドイツ人の若い女性2人が乗っていた。
彼女たちに話しかけられた。
「スペイン語って、難しいよね」
ドイツ人がユダヤ人を憎んだ理由が少しわかった気がした。

バスツアーから帰ってそのまま夜行バスに乗りチリの首都、サンチアゴに向かうことにした。
さっきのドイツ人2人は私の一本前のバスだった。
バスに荷物を載せる時、ポーターにスペイン語で何かを言われていた。
彼女たちはこう叫んだ。
「スピーク イングリッシュ!」


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