第667号 久しぶりの早朝ですねの巻

投稿日:

【歯石を取るだけの動画、なぜか2ヶ月で3569万回も視聴されてしまう】系クラブチームの左大文字ラクロスクラブは9月19日、淀川河川公園木屋元グラウンドにて定期練習を行った。
本当は今日あるはずだった中止は先週突如中止となり、9月26日13時30分から行われることとなった。
急遽グラウンドをとることとなり、探し回った挙句朝7時からここだけ空いていることが発覚し確保された。
わざわざ試合のために日程をあけていたメンバーは3連休ラクロス難民と化し、いい歳して朝7時から元気にラクロスに打ち込んでいた。
朝9時に練習を終えたメンバーは各々帰路につき、そこから充実した連休ライフを送ったそう。
ちなみに筆者はそこから和歌山まで車を走らせ山登りに行ってきた。
朝早いとそこから山登りにいけるので是非これからも推していきたいと思う。
まあ私だけだけど。

■とおもいきやまたまた試合時間が変更

9月26日13時30分開始とされていたvsOLC戦であるが、8時30分開始とされることが21日にまた突如として発表された。
一個予定が狂うとドミノ倒し的に他の予定も狂っていくものである。
来年はこうはならないことを祈るばかりである。

■今週の連載小説『南米旅行記 パタゴニア編その9 サンチアゴ』

サンチアゴは垢ぬけた町だった。
地中海性気候に属するこの町の天気はただただ快晴だった。
かつて南米のパリと呼ばれ栄華を誇ったブエノスアイレスにとってかわり、南米ナンバーワンの経済大国となったチリの活気が凝縮されていた。
町中いたるところに「4G」という看板が掲げられていた。
もうすでに携帯電話の4Gサービスが始まっていたのだ。
日本で4Gサービスが本格化したのはそれから数か月後だった。
アルゼンチンではそんな看板は見られなかった。
チリは日本よりも先を進んでいた。

大統領宮殿であるモネダ宮殿がある広場沿いに宿をとった。
サンチアゴには3泊することにした。
近くにスウェル鉱山都市という世界遺産があるという。
アンデスの山中にあるこの町は銅の採掘で栄えたが、今はゴーストタウンになっているという。
1日目はサンチアゴ市内を観光し、2日目はバルパライソという港町を観光し、3日目にスウェルに行こうと思った。
ネットの情報を見たらスウェルへのツアーは日曜のみ、1000ドルぐらいするという。
そんな馬鹿な、と思い近くの旅行会社で聞いてみたら本当だった。
さすがに1000ドルは払えない。あきらめた。

サンチアゴは特にみるものはなかった。
宿の近くにあるアジェンデ像を見に行くことにした。
ソ連や中国は革命により社会主義化した。
そのあとに続いた国もソ連の圧力や、内戦、革命により社会主義化を達成した。
だがチリは違った。
チリは世界で初めて民主的な選挙により社会主義政権が生まれた国だ。

3S政策というものがある。
Screen、Sports、Sexというアメリカを代表する3つの文化を輸出し、その国民をアメリカ文化に洗脳させる。
そうすればその国が反米や共産主義やイスラム原理主義に傾くことはない。
アメリカはそう考えていた。

中南米諸国はモンロー宣言以降アメリカの裏庭だった。
アメリカと目と鼻の先にあるキューバで革命がおき、今度はチリで民主的に社会主義政権が誕生しようとしている。
社会党と共産党が統合され結成された人民連合の大統領候補、サルバドール・アジェンデが決選投票へと進んだ。
アメリカはCIAを通じて莫大な資金を右派に供与し、ありとあらゆる手でアジェンデが大統領になることを阻止しようとした。
最終的に中立派である陸軍司令官であるレネ・シュナイダーを暗殺する。
このことが裏目となり世論はアジェンデ支持一色になった。
アジェンデは大統領になった。

アメリカは当然激怒した。
今度はチリに圧力をかける。
チリ経済は銅の輸出に大きく依存している。
アメリカはチリが銅の決済に使う口座との決済を禁止した。
次に銅の生産に使う部品の輸出を禁止する。
そしてアメリカが備蓄していた銅を国際市場に一気に放出し、銅の価格を暴落させた。
CIAはトラック輸送業者までをも買収しストライキを起こさせた。
チリ経済は大混乱に陥った。
それでもアジェンデへの支持は衰えることはなかった。

アジェンデ政権が発足したとき、国民の30%が栄養失調状態に陥っていたという。
いくらアメリカ文化が素晴らしかろうと、腹は満たせないことをアメリカは知らなかった。
アメリカは『北風と太陽』の北風そのものなのだ。

アメリカは反共主義者のアウグスト・ピノチェト将軍にクーデターを起こさせる。
1973年9月11日、モネダ宮殿は空襲を受けた。
アジェンデは「降伏しない!」と言いながら銃でこめかみを打ち自殺したという。
その日に大統領になったピノチェトにより3000人が即日殺害された。
その後数万人が収容所送りになり処刑されたという。

28年後の同じ日、2001年9月11日にアメリカで同時多発テロ事件が発生する。
チリ国民はこれを冷ややかな目で見ていたという。
アメリカがチリでしたことをチリ国民はまだ忘れていなかった。
アメリカはただ自国の利益のためにチリ国民自らが選んだ選択を蹂躙したのだ。

広場の片隅にアジェンデ像があった。
女性兵士がだらだらとスマホを見ながら警備をしている。
彼女は私を見るなりスマホをしまい込み、だるそうに「仕事に戻った」。
怪しい宗教団体が謎の集まりを開いていた。
皆で輪を作り空を見上げなら何か言っていた。
通行人を誘い、その通行人はノリノリで集まりに加わっていった。
過去に凄惨な出来事があったことなど信じられないようにモネダ宮殿はきれいに修復され、サンチアゴの町は平和そのものだった。

近くの公園に行くことにした。
そこは小高い丘になっており、サンチアゴの町が見渡せた。
そして大気汚染でかすんだアンデスの山々が見渡せた。
高く上った太陽は乾いた爽やかな風を吹かせている。
少し暑かった。忘れていたのだ。南米が今、夏だということを。
少年たちが競争しながら坂を下っていった。

坂を下ったところで女性に声をかけられた。
彼女はサンチアゴ大学の学生だという。
何も聞いていないのに勝手にサンチアゴの観光名所案内を始めた。
その観光名所はすべて地球の歩き方に書いていた。
そして最後に彼女はお金をせびり始めた。
私は彼女に1ドル渡す。彼女は言った。「More!」
私は無視して歩き出した。

夕食を食べに行こうとした。
中央市場には太平洋でとれた新鮮な魚介類が並び、それを調理するための飲食店が多数あるという。
ところが行ってみたところほとんどの店が閉まっていた。
市場は17時までだった。
店員らしき女性に声をかけられた。
ついていくとそこだけ店が開いていた。
今でも覚えている。その時食べたのはカレイのフライだった。
味は特に日本で食べるのと変わらなかった。
逆にそれが嬉しかった。
テレビではシンプソンズが流れていた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。