第670号 早くも始動して1ヶ月半経ちましたの巻

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今年も左大文字ラクロスクラブ元気に2月末から始動しております。

ブログの人はあっという間に書き上げるのに中の人がコロナに負けるな!と頑張って久々働きまくったら4月の上旬になってしまいました?

ということで今シーズンも左大文字よろしくお願いします!

【ディカプリオのそっくりさんがコロナ禍で激太りして契約解除】系クラブチームの左大文字ラクロスクラブは2月27日、淀川河川公園三島江グラウンドにて今年二度目の定期練習を行った。
知らないメンバーがいるなと思えば、そこはGoldzealerとCYLの練習試合に来た方々だった。
鳥飼上グラウンドと盛大に場所を間違えたようであった。
「またうちにもよかったら来てください」と伴仲氏に見送られ鳥飼へと去っていった。

今年初参加のキャプテン大槻氏が音頭を取り、メニューの後「何かあれば」といえば「まず大槻からやろ」とツッコミを受けながらもそつなくメニューをこなした。
そんな大槻さんは三月に結婚するらしい。
公私ともに絶好調の大槻さん完全に忘れてるだろうけどキャプテン就任の挨拶も書いてね。

今回来てくれたのは関西学院大卒の福田氏だ。
ゴーリーをだますためのシュートの打ち方をレクチャーしメンバーは感動、「それ俺には有効やわ」と伴仲氏がフォローした。
そしてその場で入団を決断してくれ、拍手で迎えられた。
ちなみに握手の写真を撮り忘れたので後で合成して掲載するらしい。

■今週のコラム『野宿ノススメ』

毎週毎週何かを書くのってまあまあしんどいのだが、とりあえず今年第2号にして書くことがない。
時事ネタを書くとアップロードされるまでに状況が変わるので今話題のウクライナについてはまたまた語ることにしたい。

ということで私の特技である野宿について語りたい。
今はさっぱりだが20代のころはよく野宿しながら旅をしていた。
そして最近は第2次キャンプ世代にちょうど子供ができ始めたのと、コロナで密にならないとのことでキャンプがまたブームらしい。
ところが都会の喧騒を離れてもキャンプ場程度ではまだまだ人との接触は避けられない。
そこでキャンプ場での道具マウント大会が始まり、それはそれで皆さんまあまあ疲れているらしい。
結局人は他人と比べることでしか幸せを感じることができないものだと思う。
そんなあなたに野宿をお勧めしたい。
完全に社会からはみ出した存在となることによりマウント大会から解放されるであろう。
ただし警察による職質ももれなくついてくる。

20代のころとりあえず暇だった私はフェリーで鹿児島まで行き自転車で大阪に帰ってくることにした。
泊まる場所は主にネットカフェや民宿だった。
鹿児島まで行けば次は北海道だ。
翌年北海道に行くことにした。
ところが鹿児島~大阪と北海道~大阪で大きく違う点がある。
それはルート上にある都市の数が違うということだ。
自転車で1日に走れる距離は100~150km、鹿児島~大阪ではその距離に都市はいくらでもある。
だが北海道~大阪となるとそうはいかない。
となると夕方になってちょうどいい所に泊まれるところがあるとは限らないということだ。

スマホがない時代だった。
地図でわかることといえば道路と都市があるかどうかということだけ。
検索すれば宿の空き状況も値段も一瞬でわかるような便利な時代ではなかった。
道を歩いてる人か交番で聞き、一軒一軒手探りで宿を探し、空き状況と値段を聞いて回らなければならなかった。
ご飯を食べる時だってそうだ。
今はスマホで簡単にメニューを調べられるが、スマホがなければ表にメニューを出していない個人経営の店に入るのはちょっと勇気がいる。
北海道に上がると都市と都市の間隔は広い所で40kmになってくる(というより40kmを超えないような間隔で町を作っているようだ。本州の街道沿いではそれより密に町があるのでその必要がない)。
必然的にどこがで野宿する必然性に迫られてくるわけだ。

というわけでまあまあいろんなところで野宿したのでその野宿ポイントについて語りたい。
なお前述のとおりスマホがない時代の情報なので探し方がとてもアナログな事にも留意されたい。

①道の駅
定番中の定番。なぜ定番なのかというと地図に必ず載っているからだ。
道路案内標識にもよくでてくるためちょうど目標としやすい。
トイレが必ずあるので水にも不自由しない。
バイクや自転車や車中泊で日本縦断中の大学生やフリーターがよく野宿しているので似た者同士情報交換したりして面白い。
ただしトラックもよく来るのでうるさかったりもする。
東北に上がれば24時間使用可能な休憩所があったりしてとてもよかったりする。
野宿初心者から上級者まで幅広く利用できる。

そういえば徳島の道の駅で野宿していたときにに2人の老人に出会った。
1人は昔阪大で教鞭をとっていた先生(教授かどうかわからなかった。講師かもしれない)で、今は退職して自転車で野宿しながら日本百名山を登っているという。
もう1人は各地で住み込みの季節労働をし、それが終われば自転車で次の住み込み場所へという生き方をしている人だった。
もう日本を27周しているという。
「夏の利尻でのコンブ漁の住み込みバイトは時給がいい」と言っていた。
おそらく2人とも同じぐらいの年齢だった。
顔に刻まれた皺の数はえらく違っていたようだが。

散歩に来た近所の人におにぎりをもらったので3人で食べた。
88か所巡りの影響で、四国には旅人にやさしくする、という文化があるそうだ。
阪大の先生は日本27周している人をえらく見下していた。
「あいつは『しまなみハイウェイは自転車で行けば料金箱があるだけだからお金払わんでええ』とか言ってる!あいつは乞食じゃ!」
阪大で教鞭をとっていようが結局そこにいるのは3人の野宿者である。
人はどこまでも他人と比較しなければ生きていけない。

なお阪大の先生は「自転車で百名山っていう名前でブログやってるからまた見てみて」と言っていた。
帰ってすぐその名前で検索したがそれらしきブログは見当たらなかった。
同名のブログはあったが明らかにその人ではなかった。

他にもホームレスのおっちゃんに人生を熱く語られたり、「昔世話になった人を紹介するからその人を訪ねなさい」と言われ飯をおごってもらったり、リアカーで日本一周しているような人もいたりしてとても面白い。

東北の震災の翌年のこと、岩手の山田という町の道の駅でのことだった。
リアカーで日本一周しているおっちゃんがいた。
彼は朝撤収するとき道の駅に向かって「ありがとうございました!」と深々と頭を下げて歩み始めたのが印象的だった。

ちょうど北海道から大阪を走っているときだったが、福井の道の駅で「スティーブ・ジョブズが死んだよ」と教えられたりもした。
お仲間が多い事が多いので職質されることも少ない。
ただし幹線国道を外れた国道で車中泊をしていたらよく職質される。

この続きも書いたのだがなんと5,000字近くになった。
というわけで需要は全くないだろうが、続きは次号掲載するのでお楽しみに。

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